毎年、4月23日が来るとその前後の土曜日にイギリスロマン派研究会が開催される。名桜大学学長瀬名波栄喜先生が会長をされている。キリスト教学院の浜川仁さんが事務局長で、ロマン派とゆかりのある方々が集い、会食しながら多様なテーマの研究報告に耳を傾け自由に論じあう(語りあう)空間は、年に一度とはいえ有意義な場である。
まれな事だが今年の集いはまさにワーズワースの命日の4月23日、いつものホテル西部オリオンの二階、中華料理店でもたれた。3人の方々のお話があった。瀬名波先生は実際に湖水地方に行かれた時撮った写真をご紹介され、また九州ロマン派学会のこの間の歴史をお話された。そして驚いたことは、昭和3年生まれの先生がどなたよりも輝いておられたことで、かの名著Lyrical Balladsの初版を持ってきてくださった。また実際にワーズワースのサインが入った古書もーー。それらは何百万もする貴重な書物で、ロマン派、特にワーズワース研究者の矜持と敬虔さを感じさせた。懐かしいワーズワースの詩篇から私もかなり影響を受けた。Spontaneous overflow of powerfull feeling!そしていつも持ち歩いていたワーズワースのミニ詩編集!
かの有名なOdeの詩編も好きだった!
Of splendour in the grass, of glory in the flower,
We will grieve not rather find
Strength in what remains behind;
In the primal sympathy
Which having been must ever be;
In the soothing thoughts that spring
Out of human suffering;
In the faith that looks through death,
In years that bring the philosophic mind.
静かな諦観の中にじわりと沁みてくるもの、自然の中に真実を愛を崇高なるものを見いだしてきた詩人の感性は、デカルトの
I think therefore I am!ではなく、I feel therefor I am!だった!
”Women in Lyrical Ballards” について研究生時代に論稿を書いたが、それをもう一度再構成して形を与えたいと思いつつ遠くまできてしまった。時は無情(常)でさっと河口まで流れてしまう。
***************************************
ウィリアム・ワーズワース(William Wordsworth, 1770年4月7日-1850年4月23日)は、イギリスの代表的なロマン派詩人であり、湖水地方をこよなく愛し、純朴であると共に情熱を秘めた自然讃美の詩を書く。同じくロマン派の詩人であるサミュエル・テイラー・コールリッジは親友で、最初の作品集は、コールリッジとの共著であった。多くの英国ロマン主義詩人が夭折したのに対し、彼は長命で、1843年、73歳で桂冠詩人となった。
ワーズワースは、1770年、北西イングランドの「湖水地方」と呼ばれる風光明媚なコッカマスに、五人兄弟の第二子として誕生した。1778年、母の死去と共に、ワーズワースの父は彼を学校へと送るが、法律家であった父もまた1783年に世を去る。ワーズワースは孤独な少年時代を送るが、自然の美しさが彼の心の慰めとなった。
1787年、ケンブリッジ大学のセント・ジョンズ・カレッジに入学する。1790年、フランスに渡り、フランス革命の熱狂のなかで革命を支持したが、後年は保守的に傾いていった。また、フランス人であるアネット・ヴァロンと恋に落ち、彼女はワーズワースの娘を1792年に出産するが、ワーズワースは経済的理由などからイギリスへと一人で帰国する。
1795年、彼はサミュエル・テイラー・コールリッジと出逢い、二人は意気投合して親友となる。1797年、妹ドロシーと共にコールリッジの住居のすぐ近くに転居する。1798年、ワーズワースとコールリッジは『抒情詩集(Lyrical Ballads)』を共同で著し、出版する。英国ロマン主義運動において、画期となる作品集であった。
1798年から1799年にかけての冬、ワーズワースはドロシーと共にドイツに旅行し、孤独と精神の圧迫にもかかわらず、後に『プレリュード』と題される自伝的作品を書き始め、また『ルーシー詩篇』を含む多数の代表的な詩を書く。
12月にイギリスに帰国したワーズワースは、湖水地方にダヴ・コテージ(en:Dove Cottage)[1]を構える。詩人ロバート・サウジーの住居のすぐ近くであった。ワーズワース、サウジー、コールリッジらは「湖水詩人」として知られるようになる。しかし、この時期、ワーズワースが書いた詩の主題は、主に死や別離、忍耐や悲しみに関するものであった。
1802年、アネットと娘カロリーヌに会うため、ワーズワースは妹ドロシーと共にフランスに旅行する。この年の後、幼なじみであったメアリー・ハチンソンとワーズワースは結婚し、翌年、メアリーは第一子ジョンを出産する。ドロシーは、兄と妻のもとで同居する。
**************************************
<じっくり会の様子を書いた文章がなぜか途中から消えてしまった。残念、それをまた書き興すのも辛い!>
2番目の話者は山里勝己さん、最近ミネルヴァ書房から発行された【<移動>のアメリカ文化学】についてご紹介した。このシリーズは【<風景>のアメリカ文化学】【<都会>のアメリカ文化学】のシリーズになっている。何かと沖縄と関係の深いアメリカだが、その歴史・文化・社会の変容するダイナミズムを三つのシンボルを中心に切開して見せた極めて斬新なアメリカ文化学だと理解した。<移動>の特集には山里さんの他に喜納育江さん、渡久山幸功さん、山城新さんも其々の章を書いていて興味深い。山里さんが昨今はルネサンス時代に関心を持ち、ラテン語に挑戦されているというお話は原典の奥の奥を掘っていく研究者の視野の深さを感じさせた。
3番目は浜川仁さんで[ロマン主義と帝国主義時代の疫病」の題でとても興味深かった。イギリス帝国主義時代のあの晴れやかなイメージの下で疫病に苦しんだ多くの人間の生きざまがあり、スーザン・ソンタグの引用も目を惹いた。アフリカ・アジアでは疫病は自然の循環の一部であり、西洋では歴史や時代に大きなインパクトを与えたという。実際「帰還兵」というワーズワースの詩編を紹介し、名桜大学のキャロラインさんが朗読した。ロマン派の広がりを感じさせた。
久しぶりに青春時代に回帰するような精神の息吹・水しぶきがあった!瀬名波先生の表情の輝き、またその静謐さに人間の品格(品位)のようなものを感じていた。恩師と語る場が少なくなってきた今、とても貴重な時を過ごしたと思う。先生120歳まで長生きされてください!
<沖縄の春、イッペイの花>
紹介されていたのは『Peter Bell』という長編物で翻訳本は見当たらないようです。
ご紹介の作品Odeも素敵ですね。ひきこまれました。