志情(しなさき)の海へ

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シンポジウム【琉球と東アジア文化圏をつなぐものー「自治」と民際学】などの印象

2011-03-07 12:49:02 | グローカルな文化現象
すでにこのシンポジウムのプログラムについては前にご紹介したので、その趣旨を紹介しておきたい。主催の龍谷大学教授松島泰勝さんは、琉球人と自称し、琉球独立を推奨する立場から太平洋のグアムのチョモロ族との交流を持ち、対する独立国家パラオとの比較研究において、沖縄の自治に関してもとても有用な書物をすでに書かれている方である。(グァムがアメリカの植民地であるゆえに自決権を持たずアメリカ政府の都合のいいような施策に甘んじているという事は現在の沖縄をまたイメージさせた)またNPO法人ゆいまーる沖縄を主催され、そのブログも公にしている。以前このサイトを訪れた方が是非松島さんのNPOに参加したらどうか、とのお誘いもあった。新聞でのご発言も先見性があり、沖縄に税金が落ちるシステムについての提言もユニークだと感じたことがある。すでに1990年代に国連の先住民族関連の機関に参加され現在に至る先住民族沖縄の決議をもたらした陰の立役者であったことがわかった。なるほど!おそらく氏の基本姿勢はチラシの中や新聞紙面ですでに展開されている。そのエッセイの見出しでも「脱植民地へ民の視点ーー東アジアの枠組で模索」「【自治社会政策を柱に】-ゆいまーる活動が基盤」とある。

そして趣旨は「琉球が日本に「復帰」して2011年で39年となる。その間、琉球は自立に向かって進んだのだろうか?自治は確立されたのだろうか。むしろ振興開発とリンクする形で米軍基地が押し付けられ、国に大きく依存するようになった。普天間基地の「県外移設」という公約も破られ、日本政府は辺野古新基地を建設しようとしている。琉球はかつてアジア諸国と交易をおこなった海洋国家であり、東アジア文化圏の諸地域と多くの歴史的、文化的共通性を持っている。民と民との直接な関係性を重んじる民際学の考えに基づいて琉球の人々が東アジア地域の自治的自覚をもった人々とつながり、アジアとの間で「ゆいまーる」関係を築くことで、現在、琉球が今抱えている問題を真剣に考え、将来の方向を決めることができるのは琉球人自身である。琉球は東アジア文化圏の中に存在しているのである。国民国家、国境を越えて東アジアにおける自治、民主主義について議論し、琉球のあるべき未来像を提示したい」である。

この趣旨がどれほど深められたかは参加した120人ほどの方々がどう捉えたか、にもよるのだろうが、シンポジウムの司会を担当したのは仲地 博(沖縄大学副学長)--【トカゲ大学は実は大和出身の学長など、多くの大和人知識人が牛耳っている大学である。例えば専任教員の下で多くの沖縄出身非常勤講師がいるという構図にもなっている。皮肉にもその大学内の植民地構造に大和から職を求めてきた大和人たちが意識してないそぶりが「あらおかし」でもある。知念ウシの【ウシがゆく】のインドの事例を見たら良い。植民者は植民地の人間たちに施しを与えている意識から免れていない。正義の顔をして収奪しているという事を自覚していない知識人層の存在もある!】

仲地氏の最後のまとめをまず紹介しよう。松島氏ははっきり沖縄の人間は琉球人だとアイデンティティーを明瞭にする。佐藤優は琉球人・沖縄人は他民族だとする。彼は母親は沖縄人で父親は日本人でその点で沖縄が先住民族かという点で、ペンディングだと応えた。そのアイデンティーの問題は次の課題である。また国民国家を超えて琉球の自治や独立を獲得するための方策は今後の課題である。民主主義の主体は民である、というのが松島さんの主張である。大城立裕氏は復帰が必要だったか正直になろう。日本の官僚国家体制に対抗できるものがあるか、と問うた。王さんは新聞でも論を展開しているが、【数の暴力から権利を守るー国家を超えた公共空間形成】を主張する。第三の公共空間である。新しいわれわれをどう創っていくか?が、問われている。沖縄だけではなく東アジアにつながる「われわれ」の創生をどうするか?具体的方向性をどう?共同知の育成を沖縄の場で築こう!のようなまとめだったようだ。(録音した中身を吟味する必要はある)

シンポジウムのパネラーのご発言はすべて興味深いものがあった。大城立裕氏がどんな発言をされるのか、が今回のシンポジウムに参加した大きな決め手だったが、佐藤優氏の発言から氏が沖縄から発信されているインターネットのブログも意外とよく見ているのだろうと推察できた。氏に対する批判も含め、彼はどのような発言が沖縄から発信されているか、見ているというのが印象の第一である。それらを含めた無難なトークをしていた。つまり琉球語の正書法の問題を提起し、伊波普猷のおもろの話や大城氏の新作組踊や半田一郎氏のコメントをお話した。「カクテルパーティー」がロシアで翻訳されているという発言は初耳だった。ロシアは沖縄が日米の大きな弱点と見たという事である。情勢論や存在論という難しい定義も持ってきた。そして究極的なものとそれ以前とかーー。亜民族アンソニ・スミスの定義を紹介した。佐藤氏は右も左もないと糸数慶子氏に国場幸之助を紹介されたと話した。沖縄が一つの民族として日本の官僚と対決すべきだとのエールである。しかし氏が琉球新報に書いたエッセイを見ると、日米強化を推進し、北朝鮮脅威論を書き、エジプトと北朝鮮の関係をまた論じていることなどはここでは語られない。八方美人的なスタンスだが、沖縄の観衆は大和の官僚に対峙できる論の達人としての佐藤氏(少なくとも沖縄人の祖先の血が流れているので沖縄へ不利益になることはしないだろうとの期待感をもっている)への関心が高いと言えよう。

沖縄大学の学長・加藤彰彦氏の最初の発言が【佐藤氏はいい方ですね】である。そして言語(琉球語)の問題を大学でも取り組みたいときた。うまく乗せられたのである。それはそれでいい事だと思う。大和の正義感の強い知識人のセンスである。佐藤氏の沖縄人の定義が「先祖を沖縄人と認める自己意識を持つこと、そしてその自己意識を持つ沖縄人に自発的に外部から介入したいと思う人々」である。その中に加藤学長など自己アイデンティティーがすっぽりはまってしまうので悦にいる表情だったのだろう!まぁそれはいいが、週間金曜日に国場幸之助に論を書かせた背景を佐藤氏は話した。明らかに【目取真俊のブログ】への言い訳である。琉球語でわたしの論を書けるかとも問うた。書かれた先輩たちの遺産をどう受け継ぐか?文学と政治の論争を問題化し、反復帰論から現在学ぶものが多いとも話した。



<全パネリストたち>

大城氏の論「同化志向を脱けられるか」の一部を紹介したいが、その前に大城氏の貴重な発言は琉球処分(1879年)以降、戦後の復帰運動に至るまで沖縄が大きな影響を受けたのが文部省だという指摘である。将来的に学校のカリキュラムの中に琉球諸語を導入する際にも文部科学省の管轄の問題があり、縛りがある。独自性を追究できない沖縄の知識人の弱さがある。日本政府・国民国家の枠組みの中の安寧があり、その中の鞭の中で大勢の屍が山となった歴史も反芻しながら、二度とあのような犠牲にならない琉球・沖縄を志向する運動がなされないといけないのである。しかし足元から頭まですべてが日本のシステムにがんじがらめにされている沖縄の現実を見ると、フェンスに身体を巻きつけられたウチナーイナグやウチナーイキガの姿が浮かぶ。

棘をむき出しにした鉄の鎖で縛られ、それを外す試みの厳しさがある。日米のシステムの中でどう民族自決をするか?大きな課題である。松島さんがイギリスのスコットランドの話をした。自治の獲得から独立へ。それはアメリカ占領時代の琉球政府の在り様が参考になると片山大臣は話していたが、さてどうなのだろう?

わたし自身は言語と文化、文芸、政治に興味をもってケルト文化圏との比較研究を将来的に深めたいと考えているが、文化の力はバネになりえるだろう!王さんが提起していた民主主義の問題まで深くコミットできなかった。中国の一党独裁と経済発展をある面で擁護している発言にも聞えたが、それはイラク戦争を踏まえた発言だった。世界の民主主義を誇示するアメリカの無様な侵略を見ると透明な民主主義の怪物的行為の在り様はどうなのだという意見である。同感である。中国へのシンパシーをこのブログでも書いたらすぐ反論があった。

佐藤氏のスタンスが目取真俊などのブログにも目を通しながら、氏が国民国家主体の姿勢・論をもっと沖縄の生な声に耳を傾けて展開できるか注目したい。佐藤氏は激しく下地幹郎氏を批判した。辺野古問題に関して、県外・国外へは、ほんのちょっとの沖縄人集団のエゴイズムだと云う。しかし「沖縄から全ての米軍基地を撤去するべきだ」と、佐藤氏が論を展開することは決してないだろう。沖縄に米軍基地も自衛隊基地もいらないという論を世界に発信しないといけない。佐藤氏がタカ派的スタンスを変えたわけではない!氏の弁論や評論には注視する必要がある。騙されない視線の強度が試されている。

大城先生は論稿の中で次のように書かれている。ここで紹介したいと思ったが、ちょっと長くなったので改めて紹介したい。

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