志情(しなさき)の海へ

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加藤秀俊の「芸能の社会学」が面白いと思った。芸能のアウトローとしての存在形式!(備忘録)

2015-09-04 18:50:55 | ジュリ(遊女)の諸相:科研課題

               (歌・三線に長けた芸能者=ジュリ)

歌舞伎の創設者出雲の阿国は巫女であり遊行の娼婦だった。しかし京の支配者たちも阿国を招いてその芸を鑑賞するようになった。
ビートルズが世界の寵児となった背景に世界の民衆のルサンチマンが応援したとの論理展開が面白いと感じた。民衆の上昇要求が投影された世界的に影響力をもったビートズル、イギリスの労働者階級の若者たちだった。

引用「出雲の阿国や吟遊詩人のばあいを考えてみてもよい。なるほど彼らはすぐれた芸能家であり、大衆的な指示をうけ、またそれぞれの時代における支配層から愛顧をあたえられた。社会的に目立つ存在であり、「有名人」である。大臣より人気歌手のほうがはるかに知名度はある。有名性から政治に短略したタレント議員への抵抗は強い。(?)芸能人のカテゴリーは秩序ある社会に編入されるべき性質のものではない、という社会心理的前提が社会の深層にあるからだ。

芸能は見えない独立社会として全体社会と重なり合っているのである。「地下組織」とのかかわりー第二政府の存在、規範の表の想像を絶したのびやかさ?

国家の中にありながら治外法権的部分をもっている芸能!国家の周辺部にある独立集団であり、一方で国家を無視しながら他方では国家をつなぐ役割を果たす。アウトローはアウトローの役割を社会に対してうけもっている。ビートルズはアウトローとしての存在形式に依拠することによって、我々同時代人の総ての心の中に存在する。バッハはまだ強いと思うがー。芸能=芸術で置きかえることが可能か?

「阿国の出自は巫女であった。巫女といっても室町以降のそれはすでに宗教的聖職者としての役割を失い、賤業化していた。彼女たちは遊行の売春婦であり、しかもその相手は、下層階級の男たちだったことがしばしばだった。阿国もまた零落した巫女であった。しかし、一端彼女の芸能が評判になるや否や、彼女は一躍して、京の人気者になる。社会の支配者たちも阿国を招いてその芸を鑑賞するようになる。賤業に従事していた人物であっても、芸能という通路を通じることによって、その時代の高貴なる人々とつながりをもつことができるのであった。←そこはちょっと普通な印象だね。すでに白拍子の静御前と義経など知られている。

遊女がまた社会の高貴なる身分・上皇と愛しあった歴史である。遊郭に遊んだ王侯貴族(琉球でも)が存在し、ヘタイラのような存在もいたのだね。

人類史、世界史を見据えて見るともっと興味深い。牲としての芸能もあり、自由無碍に社会を人と人を結ぶ芸能がある。潤滑油のような美を伴っている。一つにくくれないものが芸能、水のように空気のように、火のように、魂の塊のように存在する。芸能=芸術として類推することは可能。

[備忘録]ですね。

加藤さんはディヴィッド・リースマンの『孤独の群集』を翻訳していて著書が凄いですね。若い頃、確かその本を購入して読んだ覚えがある。テキストになっていたのだろうか?古い本だ。アルビーの「動物園物語』の背景と呼応しているようだ。キーワードは孤独とディスコミュニケーションかな。


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