2007年に「てぃるる」で日本演劇学会、秋の沖縄研究集会を開催した際、パネラーとしてお話していただきました。其の中身の要約は科研研究報告書に収録しています。「ゆしぐとぅ」についてお話されているのが印象に残っています。吉田妙子さんの親友でかつライバルだった北島さんとはご一緒した事が何度かありました。反戦の思いを一人芝居で何度も繰返し上演するその姿は深い思いがなければできなかったと想像できます。
ウチナーグチに関してのフォーラムでもパネラーのお一人としてご発言していただきました。感謝です!『沖縄芝居実験劇場』の代表者としても奮闘されていましたね。大城立裕さん、幸喜良秀さん、真喜志康忠さん共々芝居の復興に尽力されていた90年代はいい時代でしたね。
みなさんの創造した舞台は沖縄文化の大きな糧になります。ご冥福をお祈りいたします!貴女が残した痕跡や作品は永遠に沖縄文芸史の中に刻まれていくことでしょう。あまりラジオを聞いていないのですが、民謡の力は沖縄の根にあるのですね。
ここしばらくほとんど新聞を読んでいないので、まとめて図書館で読まないといけない状態である。紙面での討論や論評なども読みたいと思いつつ、実現できていない。
あらためて北島角子さんについてGoogleで検索して驚いたのは、このブログで意外と北島さんについて言及していることである。『人類館』の女の役が彼女にとって大きな転機になったのではないだろうか。それはまた幸喜さんにとっては沖縄の身体表象についてじっくり取り組む契機になったといえるのだろう。「島口説」もその影響の中で登場してきたのだと言える。残念なことは、「島口説」がその後再演されていない。謝名元さんに上演したらどうですか、とお話したことがあるのだが、「命口説」と共に、バトンは継承されないといけない。中堅の役者が舞踊家や組踊の伝承者の中で育っている。彼らに北島さんの思いを継承してほしいものだ。
********************************************以下転載です。備忘録
北島角子さん死去、85歳 一人芝居で平和伝え
2017年4月10日 00:37
沖縄戦や沖縄戦後史を題材に平和の尊さを伝える一人芝居などで活躍してきた女優の北島角子(きたじま・すみこ、本名・町田角子)さんが9日午後7時10分、腎細胞がんのため那覇市の病院で亡くなった。85歳。
1931年生まれ、本部町出身。役者の父・上間昌成さんが巡業していた南洋パラオで戦争を体験した。高校卒業後、父の影響で芝居の道へ。演劇集団「創造」の「人類館」(知念正真作)への出演で従来の沖縄芝居から表現の幅を広げた。
79年の「島口説」(謝名元慶福作)から一人芝居に挑み、自らの作品も次々と生み出した。RBCiラジオの長寿番組「民謡で今日拝なびら」のパーソナリティーも63年から2016年まで務めた。01年からはほぼ毎年、佐喜眞美術館で「こどもの日公演」として芝居を上演した。
1981年に文化庁芸術祭優秀賞。89年に沖縄タイムス芸術選賞大賞。96年に山本安英賞、県文化功労者。99年に県指定無形文化財「琉球歌劇」保持者認定。2006年に琉球新報賞。12年度に県功労者。16年に旭日双光章。
「民謡で-」で長年一緒にパーソナリティーを務めた上原直彦さんは「50年も一緒にやっているときょうだいも同然だ。素晴らしい感性を持ち、激しく駆け抜けた人だった。もっとやりたいこともあっただろう。今は頭が真っ白で『ご苦労さま』としか言えない。後に続く人たちが(北島さんが残したものを)つないでいくことが何よりの供養になる」と惜しんだ。【琉球新報電子版】