(Rose Garden)
トインビーの見た世界と世界観と君の見る世界と世界観は違う。しかし共通項もある。時代は感受性に運命をもたらす、という詩の一行にどきんとしたりする。時代にかすめとられる感受性(感性)がある、場所の、時(時勢)の空気もある。空気の流れに流されることもそれに逆らうこともある。大きな風には押し流される。狂い風は根こそぎ襲ったりする。緑が砂漠に一夜にして変わる。恐ろしい時代の空気と場がある。
またまたヘリの音が襲ってくる那覇の上空。今日は何機が自由無碍に飛びかうのか?この島に住む人間は基本的人権や自決権や生存権が「憲法」という麗しい条文で保護される必要のない亜日本人なので、大いに「蹂躙」していい、と日米の政府の意志が金槌を打つ。
痛い、痛い、怖い、怖い、やめてと訴えてもやめない狂気(凶器)はナイフや銃からミサイルやHAARPやサイバー攻撃へとこの無窮の空間をひねもす戦いの場にする。やれやれ青空はもはや心ときめかせる青空ではない。真っ赤な夕日は心ときめかせる人生の終の美ではない。物理の法則に乗っ取った現象の一つ、それは原子の塊、視覚の現象は印象光景、同じ現象で同じではない。同じなのに同じではない風景が満ち溢れる。
トインビーが見る夕日と君が見る夕日は同じで同じではない。意識は蔦のように地球を何周もぐるりと取り囲み、宇宙へ伸びていく。
「論理は自画像である」と、詩人が言った。私の論理はどの辺りを彷徨っているのだろうか?