志情(しなさき)の海へ

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戦前の沖縄の遊廓で人気のあった男性歌者は古典の大家ではなく多嘉良朝成や親泊興照など芝居役者だった?!

2016-03-20 21:52:05 | ジュリ(遊女)の諸相:科研課題

古典の大家はどこにいたのだろうか?遊廓でおおいに歌・三線を奏でていたのですね。
ご自宅で三線を教えるわけではなく、御殿、殿内で演奏するか、後は遊廓と芝居小屋ですね!

最も池宮喜輝さんなどは『眉屋私記』にも書かれているのですが、相当遊廓で遊んだ方ですね。つまり古典の大家は遊廓で遊んだ方々だったのですね。

歌・三線をたしなむことは→あしばーになる、と言われていた時代ですね。ですから大家たちはアシバーだったのです。それゆえに歌・三線が磨かれていったのですね!湛水親方からしてそうですね。思戸は仲島のジュリ(芸妓)だったのですね。湛水親方の係累の古典音楽の大家たちが多い沖縄だったのですね!

遊廓が芸の学校だったということです。ほとんどの芸の大家は遊廓に妾(詰ジュリ)を囲っていたと見ていいでしょう。それゆえに芸が磨かれたのですね!ハレの場です。

日常を逸脱した空間に芸があったという事実は万国共通かもしれませんね!かならずしもそうでもなく、日常の労働の場から優れた歌がまた生まれています!

セクシュアリティー、歌(ことば)、信仰は三つ巴の世界ですね。そこから芸が発展していったのですね。そういう意味で遊廓はまさに人類の初源の形態を再現する空間でもあったと言えますね。祭祀芸能の共同体でのefficacyがだんだん分離していったわけですから、それでも象徴的な機能は残っていますね。儀礼儀式の中にです。


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