(宮平敏子さんは美しい!)
辻の遊郭の女性たちの表情にエロスやセクシュアリティーの豊穣さが感じられない、と思うのは何故だろうか?タヒチの女性たちのあの朗々とした明るいエロスが感じられない琉球・沖縄の女性の表情である。純朴さは輝いている。戦前の沖縄の階級社会の色が背景にあり士族百姓の価値観の大転換の中にあった沖縄の人々の生活の貧困さがこれでもかと目につく。士族百姓の階層の上に薩摩のお目付けがいて日本の権威が君臨していた。ヒエラルキーは実は百姓>下級士族>中・上級士族>王家>清/中国・薩摩>江戸幕府の構図か?
同化の流れがあり産業もあまりない近代化の中でいったい人々は何を収入の糧にして生きてきたのだろうか?貧しさがなぜか目につく。女性のたおやかな美しさが寡黙なウチナー結い髪の女たちから匂い立つ風情は感じられない。どこにエロスが滾っていたのだろうか?
真喜志康忠氏はかつて『手足の白い美しいジュリ』について何度も語っていた。手足が白い=綺麗の象徴だったのだ。美しい女性にはジュリ小ぬぐとぅやんやーと言っていたらしい。美を具現したのはジュリだった沖縄社会がある。農漁業が中心だった産業や労働があり那覇の街の商業があった。織物や陶器や染め、帽子産業も一時盛んだった。何より農業が中心である。そうか、近代(明治政府に併合された)以降の沖縄の敗戦による多くの屍の山となるまでの66年間の政治経済を細かに見ないといけない。今頃それを意識している。都市化の趨勢もある。日清日露戦争の後、清を諦め日本への同化に邁進していく沖縄である。日本的制度や慣習に身を心を擦り寄せていった人々の中に渦巻いていたものの正体?新しい時代の流れにボートで漕ぎだした時の軋轢・開放・妥協など、かたくなに伝統や習俗にこだわり残されたものと、どんどん変わっていったものの狭間で人々は日本的価値を是として自らの歴史‥伝統‥文化を蔑み時代の列車に乗り遅れまいとした。それでも乗り遅れたのだが結果として戦場が待ち受けていた。そうした琉球の急速な歴史の転換の中で辻遊郭が果たした機能はそこがハイカラな空間であり近代文明の最たるものの玄関口だったのだ。
抜きん出た色艶のある女性に宮平敏子さんがいる。上原栄子さんにしても美しい。女性の美はどう表現されたのだろうか?豊穣さや文化の価値はどう表現されたのか?いろいろと多様に思いつく事柄、ランダムに並べてみるのもいいね。
琉文21より(新城さんへ転載します!)宮平敏子さんはやはり美しい!時代背景は戦前ではないね!