志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

『むる愛さ』(むるかなさ)とは全き愛のことでしょうか?

2022-05-04 21:51:51 | 詩、詩集
波平幸有さんが送ってくださった詩集を今日ぜんぶ目を通しました。なかなかゆっくり読める心の余裕がなく~、恩師の素敵な装丁の書籍も全部読めないままです。お礼のはがきを出そうと思いつつ、まだ327ページを読み終わっていません。

詩集については明日にでも感想を書いてはがきが出せそうです。
さて毎年一冊のペースで情熱的(passionate)に詩集を出版されている波平さんの詩集は小禄生まれだという波平さんのウチナーグチと日本語の織りなす不思議なことばのリズムにいつもハットさせられます。全部で37篇の詩から成り立っています。

なにかに急き立てられているように、詩作に向かい、己の人生の有象無象を、幻の現の生と死を手繰り寄せようとしているのだろうか、とふと頭を過ったのですが、これは時にして誰もが何かに突き動かされる衝動にも似てるのかもしれません。あなたもわたしも内からこみ上げてくる何かに急かされることがあるのですから~。

詩に凝縮される人生の哀感が、滲み出てきます。

この間の詩集をじっくり全部目を通しているわけではないのですが、うちなーぐちと日本語が織り込まれたことばのリズムとウムイが、異郷の地にあって、出自の島や家族に向かっていること、「身近な愛しいものたちへの思いを込めた作品」とご本人があとがきで書いているように、もっと読みたくなる散文詩がいくつか散りばめられています。物語のような詩篇が、痛苦を伴いながら痛みそのものも一人暮らしの中で日常となり、記憶がせり出してくる。愛する/愛した妻の存在はいつでも隣にあって存在しない現実があり、そのいない/いる存在と向き合っている詩人の生活がじわっと浮かび上がってきます。

おそらく「うちなーぐち」がわからない読者には、よくつかみにくいところがありえるでしょう。日本語で表現し辛いもどかしさが沖縄語として表出されていくことは必然でしょうか。沖縄語でなければ「うむい」が出せないという境界があるのかもしれません。

「ある男」、失踪した兄の物語が、門中から脱けた思いと重なっていくくだりがある「生きている」が、なぜか琴線に触れます。仏壇や門中墓、竈と火、戦、住家を転々と生きている姿、夜烏、・・・・・。

「南天の木」の散文詩も好ましかったです。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。