国立劇場おきなわのステージが小さいと感じた舞台だった。2014年に那覇市の市民劇場として市の助成を受けた舞台は1200人の観客が入り、ステージも広い那覇市民会館である。あの舞台の残滓が記憶されていたせいかー。大掛かりの舞台化だったけれども、最後の津堅親方の見せ場のある第7場までの上演がなくものたりないと思っていた。そして今回の国立劇場おきなわの初舞台である。キャパ600ほどの舞台が小さく思えるほどに、ステージ、花道、観客席が一体となって繰り広げられた。物語りに感情移入する観客の生の反応が良かった。
主役の津賢親方(宇座仁一さん)と大新城親方の神谷武史さんの立ち姿、動きの型、舌戦、棒、と長刀、空手の手の勝負と見せた。悪役の津賢親方を第七場まで見せたところがいいね。一方で息抜きのコミカルリリーフ的場面が久米の学校所である。大宜見小太郎さんが戦前タンメー小を演じていたが、今回赤嶺修は適役だった。声が通るし、適度な品位を保っていたところがいい。この見せ場では、でィきらンぬーで少し学校では皆よりテンポが遅れている平蔵(金城真次)と百才(高宮城実人)が遅れてやってきて間抜けた滑稽なそぶりでタンメー小の怒りを買う。観客と対面式の学校所の演出と美術は斬新でいい。
全体的に品位があり、台詞の面白さが生きていた。場面の転換での幕間が少々長く感じたりしたのだが、それ以外は花道の利用と、舞台デザインの工夫で国立の舞台が狭いと感じさせた。今回従来と異なるのは津賢親方の屋敷のデザインである。中々高窓のデザインも全体のイメージも見せた。首里の森の神の登場は、超自然的な力が信じられていた時代を写し取っているが、それが20世紀初頭に東京・大阪で歌舞伎等を観劇した渡嘉敷守良が中央の伝統芸能から影響を受けて挿入した場面なのか、両方考えられる。御次男の守役に神のことばを語らせる手法など意外と新しさを感じさせる。今回、津賢の屋敷での棒術や臣下(川満香多)の空手の型の披露など、斬新さがあった。
所作として尚清王がお隠れになったという知らせの後で皆が一斉に簪を頭から抜いて懐に収める場面などが印象に残った。それが第一場であり、そして久米の学校所であった。また膝を突き出すように歩く動作、棒と長刀を持った型、立ち回りの所作など、16世紀半ばの時代背景を考えると、立ち回りや刀、棒、長刀が登場しても理にかなう。琉球時代劇の面白さが満杯といったところか。
尚元王が口が聞けない王子であった、という史実はないと以前真喜志康忠さんからお聴きしたことがある。芝居の面白さでドラマの葛藤の芯に病気で口のきけない太子と健康な次男の王位継承の争いを持ってきたのである。唖であることが「徳がない」ことだと断定する表十五人集や摂政の意志の前に、言葉を発しない太子の立場は弱い。それが、太子のお言葉がなければ腹を切る間際まで追い詰められた大新城の目の前で、太子は声を発する。「大新城、まてぃ」で切腹は止められる。そして「ありかい」と玉座を指差す。「九重のうちに ちぶで露まちゅし 嬉しぐと菊の花どやゆる」と、琉歌を朗々と唱えるのである。
ドラマの逆転劇の面白さを描いている。事態《物語》が180度ひっくり返るドラマの逆転劇はかなり普遍的な構図の面白さである。真実の発見、土壇場の神業、がけっぷちからの生還、のように多くの観衆の心をひきつけてやまない。それは一回性の生を生きている人間の属性ゆえに、奇跡的な推移はいつでも「どきん」とするような感動(感銘)を与えてやまない。
御次男から王の座を取り戻した太子一行に対し、野心家の津賢の心はおさまらない。太子を亡き者にして王権を奪い返したい野心が謀となり物語りが続くが、首里の森の神の登場でそれが暴露される筋書きである。面白い。超自然の力も人間界の争いに手を貸すのである。
暗転の待ち時間が少し気になったが、品のいい時代劇で大いに笑い、目を見張り、耳は台詞を楽しみ、型の勇壮さに目は感動した。字幕がちょっとずれたりしていたが、芝居せりふの醍醐味があった。いいね!方言ではなく沖縄語(琉球語)、首里・那覇言語、久米言語の味わいだね。うぐしく言葉が芝居でどれだけ登用されたか、ちょっと明瞭ではないようなところがある。芝居口調の中に溶けているのかもしれない。新しい作品の再生としてはまだまだ余地を残していると云える。『王位継承争い』は史劇の大きなテーマになっている。英国史劇でもオスマントルコのドラマでも。見せる・聞かせる時代劇の良さがとてもシンプルな物語りの中で味わいたっぷりにあるということは、劇作品のあるエキスを取り込んでいるということに違いない。