前回は自宅周辺の被害状況でしたが、今回は地震の際の自分の状況についてです。
●地震時の状況
自分は東京に新幹線通勤をしており、金曜日でしたから会社(東京)でこの地震を体験。
このところ地震が多かったので、最初はいつもの震度3程度のゆれかと思っていると益々大揺れに。
会社は30階建てビルの19階にあり、感覚的に1mくらいは体が横にゆすられていたと感じました。丁度ブランコに乗っているようでした。机の下に隠れましたが、袖机の引き出しが飛び出したり戻ったり、壁際にあるスライド式書棚も右へ移動してドカン、左へ移動してドカンとぶつかっていましたが、どうにもなりません。 ゆれの方向と机や書棚の移動方向が一致していたのでこの様な状況がひどかったのだと思いますが、こんなに揺れてビルの柱が折れたりしないのかと思わない人はいないと思います。
長ーい ゆれが収まって外を見ると黒煙が見えました。その後、TVでも放映していたお台場のビルの火災でした。みるみる大きな雲のような煙の塊になりました。間もなく館内放送があり、「当ビルは安全です」と・・・ これには大きな安心感を感じました。
●家族との通信
TVで情報を見るまで、これが東北地方で起きた地震による揺れとは考えられませんでした。P波はほとんど無く大きなゆっくりしたS波だったので遠くだとは思いましたがまさかですね。
でも、その直後東北と自宅はその中間に位置している訳で・・・東京より揺れが小さい訳ないし、那須塩原は震度6強なんてTVに流れているし・・家族の携帯に電話を入れましたが発信規制が掛かっているため全く繋がらず、暫くはTVに噛り付いていました。
携帯メールが来たのは3時間後でした。 とりあえず生きていたようで一安心。
●帰宅難民
その後、気が付いたのは帰る交通手段が無くなった事。 新幹線も在来線も不通のまま、深夜になり明日は東北方面の新幹線も在来線も運行しないと断言されたため、どうしようか・・・
翌朝になり、別なビルにいる同じ新幹線通勤をしている先輩から電話が入り「レンタカーで帰ろう」と。 川崎のレンタカーが借りられたと云う情報が入り、早速五反田まで走って2人と合流し、バスで川崎に行きました。 逆方向ですから、都内を抜けなければなりません。 環7で都内を抜け4号線で北上しましたが、どこまで行っても渋滞は解消されず、埼玉県に入ったのが14時を過ぎていたでしょうか。それから栃木県近くになり、昔小山の職場にいた先輩が運転し、地理に詳しいだけあって裏道に入ったらスムースに走り出しましたが、さすがに自宅に着いたのは20:30でした。 私は、会社に行く時に免許証を持っていないのと夜一睡もしていなかったので、先輩方2人に運転して戴いて寝ていました。
12時間も運転をされた先輩方。 本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。