ぶろぐ猫の目

笑う門には福来る・・
実験中

昭和40年代の話 近所の市場

2020-10-18 09:13:40 | どうでもいい話



先日、昭和40年代の市場でのうどんの話を書きましたが

ちと思い出したので

当時の近隣センターの思い出を手繰ってみました



1970年頃の話です

千里ニュータウンの団地群の中、街毎に中心部に近隣センターという

市場がありました。

私が住んでたのは、新千里北町

近隣センターは

大きく二棟に分かれてて

向かって左が長屋状の棟、右には公設市場状の建物

長屋は入り口から

喫茶エリート タクシーのうんちゃんがたむろしてる喫茶店

当時ゲーム賭博かなにかで摘発されてたw



薬屋さん。店の前に象のさとちゃんが鎮座してた

家族計画っていう自動販売機があって、なにかな?と思てました



布団屋、同級生の家族がやってました。客が入ってるの見たことないw



電気屋、当時白黒テレビを見てたら、壊れたので

修理に出したら、ここの親父修理期間中、これをお使いください

って新品のカラーテレビ持ってきやがって

親父、買う気もなかったのに

一旦カラーテレビを見てしまったら、いまさら白黒に

戻れるかって、仕方がないのでそれを買ってましたw

商売上手なおっさんです



石川書店、小中学生のたむろする店。立ち読みばかりしてましたw

How To Sexとか読んでちんこ大きくしてましたなあ

ここのオーナーは、北摂の大地主とかで

めっちゃ金持ちだそうです



荒物屋、ここの一家は偏屈で、裏で犬を飼ってたのですが

いつも犬をいじめてました。小学校の校庭に面してたので

犬をいじめてる婆に怒声を浴びせてました

たまに工作の道具を買いに行くといつも怒声を浴びせてるせいか

異常に愛想が悪く、万引きされないようにか、至近距離について回ります

めちゃ鬱陶しかった



食堂。ここのハンバーグが異常においしかった

おかんが食事を作るのが面倒になったとき、たまに食いに来てました

オムライスもおいしかったなあ



酒屋と米や

ここで売ってるプラッシーを飲むのが、小学生の夢でした

めちゃくちゃ旨そうだったなあ

米屋の裏に日本酒の瓶のケースが山積みになってて

当時、日本酒の瓶の蓋を集めるのが小学生の間で流行ってて

蓋を盗みに良くいったもんです

悪ガキの横田君が、いっぱい蓋を取ってきたのですが

どうも、中身の入ったさらの瓶からとってきたとか言ってて

末恐ろしいやつだと思いました

案の定、高校に入ったとたん原付バイクで団地の中を

暴走してまわってましたw



長屋はここまで

公設市場の中を思い出すのですが、細部が思い出せないw

手前には、自転車屋があったなあ

偏屈な爺がやってました。パンク修理を頼むのもみんな怖がってたw

なもんで、パンク修理は自分でするようになりました 

公設市場に入ると、入り口におもちゃ屋、化粧品屋



化粧品屋の向かいに、味噌屋があったもんな

当時は味噌を桶にてんこ盛りして

しゃもじですくって買ってましたからねw

味噌屋の隣が肉や

その向かいが卵屋。当時はおがくずのうえに卵並べて売ってて

新聞紙にくるんで買ってました

たまに有精卵があって血合いの入った卵もありましたね



肉屋の隣は魚屋、魚屋の隣は揚げ物屋、その隣はお茶屋

お茶屋の店先には、夏場はグリーンティー、そして年じゅう

オレンジジュースを売ってました

金魚鉢を逆さにしたようなガラスの円形の容器の中を

グリーンティーやオレンジジュースが循環しててねえ

うまそうでした

そして、お菓子やとパン屋

パン屋の店先にはうどん玉がガラスケースに入ってました

パン屋の向かいは八百屋

わしの友達の垣田君が中学卒業して、この店に修行にはいりました

垣田君のあだ名は「マジル」でした

なぜマジルか?

当時、給食のメニューに

かきたま汁っていうのがしょっちゅうあってですね

かきたま汁

かきた マジル

ということで垣田君のあだ名が、マジルに決定

ああマジル元気かな?





コメント (2)
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