実家の村(今は木曽町)に着いた。
この後、次兄夫婦を乗せ、長兄の入院先の伊那中央病院に向って引き返した。
2日前、長兄は脳内出血という診断で脳外科の緊急手術を受けるため木曾病院から搬送されたのです。集中治療室の兄は厳しい病状が続いていました。何とか少しでも回復してほしいと願いながら、再び木曾谷へ戻りました。
その後、私は松本へ1時間余りかけて帰りました。ふたりの兄の様子や、1日で200km近い雪道の運転でぐったり疲れてしまいました。
数年前に木曾谷と伊那谷をトンネルが貫通し、我が村の神谷から伊那市までたった30分で結んでしまったのです。権兵衛峠を足で越えた時代は1日がかりの旅だった。
県立木曾病院で対応できない場合、従来は松本市まで1時間以上かけて搬送されたのが、今はたった30分で伊那へ行けるようになり医療地図も変え、買い物にも伊那の○○店へ買出しに行くというように商業圏も変わってしまった。
この後、次兄夫婦を乗せ、長兄の入院先の伊那中央病院に向って引き返した。
2日前、長兄は脳内出血という診断で脳外科の緊急手術を受けるため木曾病院から搬送されたのです。集中治療室の兄は厳しい病状が続いていました。何とか少しでも回復してほしいと願いながら、再び木曾谷へ戻りました。
その後、私は松本へ1時間余りかけて帰りました。ふたりの兄の様子や、1日で200km近い雪道の運転でぐったり疲れてしまいました。
数年前に木曾谷と伊那谷をトンネルが貫通し、我が村の神谷から伊那市までたった30分で結んでしまったのです。権兵衛峠を足で越えた時代は1日がかりの旅だった。
県立木曾病院で対応できない場合、従来は松本市まで1時間以上かけて搬送されたのが、今はたった30分で伊那へ行けるようになり医療地図も変え、買い物にも伊那の○○店へ買出しに行くというように商業圏も変わってしまった。
奈良井の道の駅にかかる檜の大橋。
いつもの日曜日は観光客が渡っていくが、今日はひとけがない。
後方の尾根は中仙道の難所のひとつ鳥居峠。
私もここで一息入れて、標高970mの鳥居トンネルを越えて木曾町に急ぎました。
療養中のふたりの兄を見舞いに行く途中です。
いつもの日曜日は観光客が渡っていくが、今日はひとけがない。
後方の尾根は中仙道の難所のひとつ鳥居峠。
私もここで一息入れて、標高970mの鳥居トンネルを越えて木曾町に急ぎました。
療養中のふたりの兄を見舞いに行く途中です。
土曜日の夜、小谷村からお客さんがあった。「昨日、60歳になったので、定年退職にしました。いろいろありがとうございました」と丁寧な挨拶をいただいた。大学病院時代に一緒に働いた仲間たちは次々と退職を迎えている。
彼女は7歳下の後輩。新人の修行時代と同時進行で結婚した。若いふたりは4人の子育てと仕事の両立で頑張った。彼女のしごと生活の後半はご主人の小谷村の実家に入り、訪問看護師の仕事で村中を駆けまわっていた。その間、両方の親の介護と看取りを済ませたという。4人の子供たちもそれぞれの領域で自立できている様子。ご主人は福祉機器の製作を続け小谷村と松本を行き来し、その傍ら米作りや鶏を飼っているという。
これから彼女は、その農業を一緒にやりたいとというのだった。高齢化がすすんでいる村は彼女の存在は貴重だから、きっといろいろに引っ張り出されるだろうが、どうかゆったりと過ごすことが出来ますように・・・。
この写真は彼女のお土産。小谷村の白馬岳と雨飾山の麓の産物と自家製の卵。
この卵は、放し飼いをしている鶏が産んだ大きな美味しい卵だった。費用は1個30円かかっているというが、それでは市場では売れないという。いま、いくらで売っているのだろう?聴かなかった・・。
彼女は7歳下の後輩。新人の修行時代と同時進行で結婚した。若いふたりは4人の子育てと仕事の両立で頑張った。彼女のしごと生活の後半はご主人の小谷村の実家に入り、訪問看護師の仕事で村中を駆けまわっていた。その間、両方の親の介護と看取りを済ませたという。4人の子供たちもそれぞれの領域で自立できている様子。ご主人は福祉機器の製作を続け小谷村と松本を行き来し、その傍ら米作りや鶏を飼っているという。
これから彼女は、その農業を一緒にやりたいとというのだった。高齢化がすすんでいる村は彼女の存在は貴重だから、きっといろいろに引っ張り出されるだろうが、どうかゆったりと過ごすことが出来ますように・・・。
この写真は彼女のお土産。小谷村の白馬岳と雨飾山の麓の産物と自家製の卵。
この卵は、放し飼いをしている鶏が産んだ大きな美味しい卵だった。費用は1個30円かかっているというが、それでは市場では売れないという。いま、いくらで売っているのだろう?聴かなかった・・。