三内丸山が本格的に調査されたのは1992年、その結果、ここに大規模な集落があったことが判明する。
1994年、直径1メートルの栗の柱が6本も確認され、急遽、野球場の建設が中止、その後、竪穴住居・高床式倉庫そして大型竪穴住居が10棟以上、さらに780軒に及ぶ住居跡が発見された。
クリ・トチ・クルミの殻、エゴマ・ゴボウ・ヒョータンが出土し、ここでは採集生活ではなく、これらを栽培していたのではという意見が出る、そして、ここの居住者は数百人ではあるまいか、だが、それは多すぎるという反対意見もあり、どちらが正しいのであろうか。