この遺跡から、漆器・琥珀・黒曜石・翡翠製の大珠は発見されている、翡翠は、新潟県の糸魚川でしか産出しないので、はるかに離れた新潟と交易があったことが推察されている。
動物の骨の7割弱が野うさぎとムササビであるという。
三内丸山の圧巻は、長さ32m・幅10mの大型住居、この大きさには圧倒される、まるで宮殿のようだ、もちろん金属がない時代なので釘はなく、蔓で固定してあった、これは、一見の価値がある。
32mはすごい、奈良時代の東大寺はどれぐらいであろう、その3000年以上前ということになる、はるか縄文の時代に、一体、何があったのか、そして、これを建設した人々は、どんな人であったのか。
ここに立って思う事は、日本列島の歴史が、これまで考えられてきたものとは違い、はるかに規模が大きく複雑ではないか・・・まだまだ「なにか」があるのではあるまいか、私は、この時期、列島の山岳部には、白人タイプの人々がいたのではと推測している、そう、このブログのテーマである。