長い期間、台湾の人たちは日本に来れなかった、戦前、日本で青春を過ごした台湾の男性、
「もう一度、皇居が見たい、富士山が見たい」
「あの皇居の厳かさ、白雪を頂く富士山の神々しさ…」
その希望が叶えられることなく亡くなってしまった、彼の息子さん、お父さんの遺影を持って来日する、
「皇居に来ました、皇居に来ましたよ」
「お父さん、立派な富士山です、日本の人々が大切にしてきた富士山です」
「これが、日本人のこころなんですね」
「今、お父さんの気持ちが分かりました」
何年か前、台湾の壮年のグループが横浜に来た、彼らは、戦前から戦中にかけて、厚木飛行場で働いていた少年工で、昼間は工場で働き、夜は学校に通った。
戦後の台湾は、蒋介石一派の外省人たちが台湾社会を支配し、台湾人のインテリや指導者・政治家を弾圧し、台湾の近くの島に送り込んだ、帰って来たときにはニコニコしていた、洗脳教育が行われたようだ、ちょっとでも怪しいと睨まれた人々は次々に除去された。
台湾人の指導グループがいなくなり、この少年工出身の人々たちが台湾経済を担うことになる、そして、あの目覚しい経済成長がスタートする、彼らにとって、久しぶりの日本は万感胸に迫るものがあった、だが、この国のどの新聞・テレビも、これを、伝えなかったのではなかろうか…
この国の新聞・テレビには、いくつかのタブーがあり、国民の大半が目や耳をふさがれている、だからネットや外からの情報を得ることのできる人とそうでない人には、決定的な差ができる。