The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

2月11日の明治神宮 3

2015-02-17 06:30:25 | 世界経済
      
 あのドイツ人女性のガイドの内容は、どんなものだったのか、推理してみよう、きっと、
 「なんと おごそかな空間なんでしょう」
 「・・・」
 「大げさな銅像やケバケバしいモニュメントはありません この森林の静けさこそがメイジ・エンペラーのこころなのかもしれませんね
   目に見えぬ神にむかいて 恥じざるは
      己がこころの まことなりけり    」

 淡々と続く、ドイツからやってきたグループがじっと聞いている、
 「17世紀の大旅行家にして大学者のE,ケンペルはドイツ人ですが 日本人の先祖はバビロニアから来たと記しています
  なんとフシギな言葉なんでしょう この意味は なんなのでしょうか 」
 
 10数人のエトランゼが耳を傾ける、
 「さて あの戦争 ヒロシマ・ナガサキの原爆投下 何十万人の犠牲者 なんてひどいんでしょう わかりますね それでも いえ それだからこそ守り通してきたものが ここにあります」
 「・・・」
 「それが このおごそかさ しずけさ どんな人種も差別しない どんな宗教も区別しない なんと高邁な理想でしょう 黒人もイスラムの人々もニコニコとあるいていましたね」

 「これこそが ケンペルの本意 あのことばを解明するヒントではないのでしょうか」
 長身のドイツ人ガイド、
 「ここには 人類文明のゾルレンがあるのです」

 「そして ここ こここそが『永遠のバビロニア』なのではないでしょうか」
 「ウオー」

 みな、拍手をしている、同じドイツ人のことば、それが、身にしみ心にしみた。