難波田先生の「社会科学方法論」を3回聞いた、1回が1年だから3年間になる、これが、私の理論構成のベースになったのかもしれない。
紹介してみると、近代経済学の父・アダム・スミスは、グラスゴー大学講義ノートで、
「『近代社会を根拠づけ・論理づける学問』を、次のように展開する、
1、神学
2、倫理学
3、法学
4、経済学 」
ここから、壮大な経済学が出発するのだが、
「中世にあっては 神が絶対であるから この世界に生起するあらゆる現象は すべて 神の手・神の意志によるとされた」
「病気・事故・災害・戦争に飢饉 すべてを神が起こした とても理解できないムチャクチャなできごとがあるが それでも信仰をつらぬくことが求められた
『不合理ゆえに 我 信す』 」
「それゆえに 神についての学問・神学が最高であったが 市民階級の台頭は 市民の権利を確立しようとする 新たな人間の時代になった」
ナニワダさんは、スェーデンの国立銀行については触れなかった、知らなかったのかもしれない、
「そんな時に deismの立場が脚光を浴びるようになる この思想は
『確かに神が世界を造ったが 神は隠れた』
『それは 時計職人と時計の関係に似ており 時計は職人によって造られたが 造られた瞬間から 時計独自の法則で動き始めた』
『だから 我々は 宇宙の法則を知るためには すでに神を知る必要はない』
『この世界を観察して この世界の法則を把握すればいいのだ』 」
チョーク1本、たんたんとして論を進める、数百人の教室、寂として声無し、名講義であった、