The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

NANIWADA経済学 春

2015-10-08 04:32:59 | 世界経済
         
 難波田先生の「社会科学方法論」を3回聞いた、1回が1年だから3年間になる、これが、私の理論構成のベースになったのかもしれない。

 紹介してみると、近代経済学の父・アダム・スミスは、グラスゴー大学講義ノートで、
 「『近代社会を根拠づけ・論理づける学問』を、次のように展開する、
   1、神学
   2、倫理学
   3、法学     
   4、経済学                         」

 ここから、壮大な経済学が出発するのだが、
 「中世にあっては 神が絶対であるから この世界に生起するあらゆる現象は すべて 神の手・神の意志によるとされた」

 「病気・事故・災害・戦争に飢饉 すべてを神が起こした とても理解できないムチャクチャなできごとがあるが それでも信仰をつらぬくことが求められた     
 『不合理ゆえに 我 信す』           」     

 「それゆえに 神についての学問・神学が最高であったが 市民階級の台頭は 市民の権利を確立しようとする 新たな人間の時代になった」

 ナニワダさんは、スェーデンの国立銀行については触れなかった、知らなかったのかもしれない、
 「そんな時に deismの立場が脚光を浴びるようになる この思想は  
 『確かに神が世界を造ったが 神は隠れた』
 『それは 時計職人と時計の関係に似ており 時計は職人によって造られたが 造られた瞬間から 時計独自の法則で動き始めた』
 『だから 我々は 宇宙の法則を知るためには すでに神を知る必要はない』
 『この世界を観察して この世界の法則を把握すればいいのだ』     」    

 チョーク1本、たんたんとして論を進める、数百人の教室、寂として声無し、名講義であった、