When I was 5 or 6 years old, I used to play with my friend, his name was " Take chan ".
And every morning, my father recited a Lotus sutra, one day I asked to him,
" Why do you call the name of my friend ? "
It was " Ho-jyu-ta-ke-ka ".
He answered it with laughing,
" It is a sutra. "
The phrase of a Lotus sutra was heard for me like the name of Takechan.
楽しい思い出がある、初めての友だちが「タケちゃん」で、毎日のように、
「まーことちゃん あそびましょー」
また、朝七時になると荒々しい読経の声がした、父親の法華経だ、ある日、わたしは、
「どうして タケちゃんの名前をいうの」
「・・・」
「お経のなかで タケちゃんっていうじゃあないの」
大人たちは、大笑い、まだ若かった父親は、
「それは ホージュー タケカー (宝樹多華果 -如来寿量品第16-)」
この「タケカー」がタケちゃんに聞こえた、法華経は母親のお腹の中にいる時から聞いていたことになる、だから禅宗の宗風とは違うはずだ、あの大学院でも見破っていたものがいたかもしれない。
思うことがあり他宗の大学院に入学したのだが、母親は何も言わずに入学金の半分を出してくれた、そして、父親は、
「キミは いつも 困難な方 困難な方に行くんだね」
あの情熱と勇気、そして青春の哀しみが蘇えってきた。