北朝鮮への帰還事業は、1950年台から1984年まで9千数百人の人々が海を渡る、当初は、一戸建ての家が与えられ、電機や水道がある、
「ここを おつかいください」
「ありがとうございます」
高度経済成長前の日本は、まずしかった、
「あっちへ行くと リンゴが食べられる」
そんなうわさが飛んでいた、北の役人が、
「それでは 日本にいる親類や友人に手紙を書いてください その終りには 一日も早く 北朝鮮に来るようにとつけくわえてください いいですね」
手紙を書き終えると、態度が一変、
「荷物をまとめて さっさとここを出るんだ」
「・・・」
「ここは おまえたちの住むところじゃあないんだ」
帰還事業の後半になると、さすがに気づき始め、向こうから手紙を書くが、名前がカタカナなら手紙の内容はハンタイである、そう言って船に乗った、厳しい検閲があるのだ、だから、
とってもいい国です → とてもひどい國です
地上の楽園です → この世の地獄です
はやく来てください → ゼッタイに来ないで下さい
脱北に成功した人の手紙に、
「ニッポンのコジキが うらやましい」
だから、一日もはやく手を打つべきだ。