The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

上り道の体系・下り道の体系 4

2020-03-31 13:36:56 | 世界経済
 近代世界を根拠づけなければいけない、A.スミスは、
 「もはや 神は離れている」

 だから、人間は、人間についての学問・倫理学を発展させるべき、近代人を導くのは「倫理学」、ところが、いくら注意したってスマホ・スマホ,
 「スマホに 支配されている」
 そこで、
 「罰則をセット」  

 法学の強化、罰則をもうけてこそ「いうコトを聞く」はずだった、しかし、何十何百の罰則があっても、
 「パンを買うおカネがなければ 盗みをする」
 近代世界を根拠づけ、近代の秩序を確立するものは経済であり、近代の学問は経済学がイチバン、そして、この経済学は学問のひとつだけでなく、
 「中世の神学 近代の経済学」 

 近代世界の上がり道の体系は、経済学に到達して完成する。




上り道の体系・下り道の体系 3

2020-03-31 10:01:59 | 世界経済
 中世から近代へのトビラを開いたのが、理神論・deism の立場、神を人格的ではなく理性的に解釈する。

 Nicolaus Cusanus (1401-1464) は、神と世界の関係を、時計職人と時計の関係で説明する、
 「神が世界を創造した それは時計職人が時計を作るのと似ている」
 「職人が時計を作った瞬間 時計は 職人の手を離れ 時計独自の法則で動き始める だから我々は 時計を知りたければ 職人を知る必要はない」
 「時計の法則を 知ればいいのだ」
 ということは、
 「神が世界を作った瞬間 この世界から離れた」
 「この世界を知るためには この世界を操縦するためには もはや神を知らなくてもいい この世界の法則を探求すればいいのだ」 

 ここから、絢爛たる近代世界が開ける。