MONAのフォト・ギャラリー

写楽・・話楽・・・な日々

日本へ - イギリス館 -

2010-06-23 22:33:44 | 横浜

長い船旅の後 僕は 横浜で 初めて日本の地を踏んだ

途中 スポンサーである出版社と 大喧嘩をし

日本紀行の原稿を買い取るという契約は 解除されてしまった

不誠実な奴等とは 徹底的に闘うし 

言いなりになるつもりはない


いろいろな伝手を頼り 新たな仕事を探す間 町へ出てみた

笑いたくなるほど小さな家々に 小さな人たち

そして 活気に充ちた雑踏

何より 日本人は勤勉で 正直だ

ある時 人力車を降りて 金を渡し 歩き始めると

車夫が血相を変え 追いかけてくる

僅かな釣銭を 返す為だけに・・・

驚くべきことは

こんな律義さは 商家で買い物をする時にも ごく当たり前にあるという事だ

相変わらず 彼は 敵が多い

反面 彼を理解し 才能を愛する人も多い


彼は 英語教師の職を得て 島根県の松江市に向かうことになった

岡山まで汽車に乗り そこから人力車で 山を越えていく旅だ

丁寧に耕された 田や畑 

自然の美しさ

途中で逢う人々は 外国人を見るのが初めてなのか

一瞬ポカンとしながらも 礼儀正しく挨拶をする


やがて 見えてきた松江の町は 宍道湖中海に挟まれ 

水の上に浮かんでいるように美しい

明治維新から 20年余りが過ぎても

松江の町並みや人の心は まだ 古き良き日本の面影を 十分に残していた

古い日本の文化は たちまち 彼の心を捉えた


一方 松江の人たちにとっても この新しい英語教師の出現は 驚きだった

今までの 外国人教師は まったくの白人優位に凝り固まり

日本の文化など理解しようともせず 不作法極まりない

挙句の果ては 土地に馴染まず 勝手に辞めてしまう

ところが この小さな奇妙な異国人は 

日本の生活に 何でも興味を持ち 知りたがる

礼儀正しく 教養があり 英語の教え方も  丁寧で 熱心だ

学生や町の人は すぐに 彼を慕うようになった 

その後 彼は 日本人女性と結婚し 

日本国籍を得て 「小泉八雲」と名のり

子どもにも恵まれた

永遠の異邦人」は 立ち寄った日本で 錨を下ろし

 家庭を築く事で たくさんの幸せを得る代わりに

自由を失い 54歳で亡くなった


まだ 当時 よく知られない日本の文化が 

彼の感性で捉えられ 情感豊かな文章で 世界に発信し続けられたのは

日本という国にとって とても幸せな事だった

彼の著作を読み 日本に興味を持ち 

親しみを感じた人たちは少なくないだろう

アメリカでは 彼の才能は 高く評価されていたが

日本においては それはずっと後の事になった

一時期 彼の遺族が 経済的な困窮に陥った時

「 なぜ 日本の恩人であるのに 国が遺族を援けないのか 」と

日本の外交官が 外地で詰問され 

初めて その事実を知ったいう話が 残っているほどだ

 

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横浜山手西洋館 花と器のハーモニー 2010

イギリス館にて

お話は ラフカディオ・ハーンの伝記からイメージした 創作です

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コメント (6)
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