のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

“被災地を描きたい!” 88歳影絵作家・藤城清治氏の新たな挑戦

2013-04-07 16:51:56 | 日記

 藤城清治氏は、現在88歳の影絵作家。

 夢のある美しい世界を創り出して、「光と影の詩人」と呼ばれている。

 大阪でも何度か展覧会が開かれ、私も2度ほど行ってきた。

 最初に行ったときは、藤城氏の夢と光に満ちた影絵の世界にすっかり魅了され、額に入った影絵を1枚買い求めた。

 今でも、玄関に掛けてある。

                

 

 

 藤城氏は、戦後何も無い中、紙や廃材を使って、独学で影絵の勉強を始められた。

 彼の初期の作品は、白黒の世界。

        

                            (白黒の作品もとてもステキ!)

 

 

 その後彼の作品は、色付きのセロファンを使ったカラフルなものになっていく。

       

 

 白黒であろうと、カラーであろうと、彼の影絵のメルヘンチックで夢のある世界は、いつも人々の心をあたたかくする。

 

 

 彼は、手で直接カミソリの刃を持ち、紙を切っていかれる。

 1日に使われるカミソリの刃は、300枚にも及ぶのだそうだ。

               

 

 

 その藤城氏が、東日本大震災の被災地に入られ、被災地の姿を描かれていることを、私は、3月17日のテレビで初めて知った。

 彼が被災地に入られたのは、震災の5ヶ月後のこと。

 こんなことを言っては失礼にあたるかもしれないが、88歳になられるその道の大家が、被災地に入られることだけでも驚異的なことだ。

 

 でも彼は言われる。

 「被災地の現実を見つめ、その中に、なんとか光を見出したい!」のだと。

               

 

 

 そうして出来た、彼の作品を2点。

     

       「宮城県南三陸町 防災対策庁舎」                     「岩手県陸前高田市 奇跡の一本松」

 

 

 更に藤城氏は、去年11月には福島を訪れられた。

 訪れられたのは、福島第一原子力発電所のある、あの大熊町。 

 

 彼は、防護服に身を包み線量計を付けて、ある建物の2階に上っていかれる。

 そこからは、破壊された4基の福島原発が見えるのだ。

 線量計のアラームがしょっちゅう鳴る中で、彼は2時間も、原発の姿をじっと見つめ、デッサンを続けられた。

               

 

 

 そうして出来た、藤城清治氏の影絵・「福島原発を描く」。

            

 

 この影絵には、無惨な原発の姿はもちろん描かれているが、藤城氏が特に力を入れて描かれたのは、川の周りに生い茂るススキと、故郷の川に帰

ってきた鮭たちの姿だという。

 この鮭は、原発からの帰りの大熊町の川で、彼が実際に目にされたものだ。

 原発事故のため人が住めなくなった故郷の川に帰ってきた鮭たち!

 その鮭の姿に、彼は希望の光を見出されたのだ。

 

 そしてこの影絵には、現実には無いものが二つ描かれている。

 一つは、上の写真の右上の方にも見える、時計。

 津波に襲われた時間を指して止まったままの時計だ。

 そしてもう一つは、(下の写真の中の)瓦礫に刻まれた、宮沢賢治の詩。

 この詩は、多くの子どもたちが犠牲になったある小学校に、掲げられてれていたものなのだそうだ。

      

 

 

 原発事故の悲惨さを描くと同時に、藤城氏は、その中にも希望の光を感じとり描かれているのだ。

 

 どんなに厳しい現実でも、それを怖れることなく真正面から見つめ、その中に希望を見出していく。

 そしてそれを、一つの作品に創り上げる。

 (300枚をはるかに超えるカミソリの刃を使い、指を傷つけながら‥。)

 それは、強靭な精神力と体力を必要とする作業だ。

 88歳のお歳で、その困難な仕事に、挑み続けられる藤城氏。

 私は、そんな彼に深い尊敬の気持ちを抱くと同時に、藤城氏の今後のご健康を祈らずにはいられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 


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