藤城清治氏は、現在88歳の影絵作家。
夢のある美しい世界を創り出して、「光と影の詩人」と呼ばれている。
大阪でも何度か展覧会が開かれ、私も2度ほど行ってきた。
最初に行ったときは、藤城氏の夢と光に満ちた影絵の世界にすっかり魅了され、額に入った影絵を1枚買い求めた。
今でも、玄関に掛けてある。
藤城氏は、戦後何も無い中、紙や廃材を使って、独学で影絵の勉強を始められた。
彼の初期の作品は、白黒の世界。
(白黒の作品もとてもステキ!)
その後彼の作品は、色付きのセロファンを使ったカラフルなものになっていく。
白黒であろうと、カラーであろうと、彼の影絵のメルヘンチックで夢のある世界は、いつも人々の心をあたたかくする。
彼は、手で直接カミソリの刃を持ち、紙を切っていかれる。
1日に使われるカミソリの刃は、300枚にも及ぶのだそうだ。
その藤城氏が、東日本大震災の被災地に入られ、被災地の姿を描かれていることを、私は、3月17日のテレビで初めて知った。
彼が被災地に入られたのは、震災の5ヶ月後のこと。
こんなことを言っては失礼にあたるかもしれないが、88歳になられるその道の大家が、被災地に入られることだけでも驚異的なことだ。
でも彼は言われる。
「被災地の現実を見つめ、その中に、なんとか光を見出したい!」のだと。
そうして出来た、彼の作品を2点。
「宮城県南三陸町 防災対策庁舎」 「岩手県陸前高田市 奇跡の一本松」
更に藤城氏は、去年11月には福島を訪れられた。
訪れられたのは、福島第一原子力発電所のある、あの大熊町。
彼は、防護服に身を包み線量計を付けて、ある建物の2階に上っていかれる。
そこからは、破壊された4基の福島原発が見えるのだ。
線量計のアラームがしょっちゅう鳴る中で、彼は2時間も、原発の姿をじっと見つめ、デッサンを続けられた。
そうして出来た、藤城清治氏の影絵・「福島原発を描く」。
この影絵には、無惨な原発の姿はもちろん描かれているが、藤城氏が特に力を入れて描かれたのは、川の周りに生い茂るススキと、故郷の川に帰
ってきた鮭たちの姿だという。
この鮭は、原発からの帰りの大熊町の川で、彼が実際に目にされたものだ。
原発事故のため人が住めなくなった故郷の川に帰ってきた鮭たち!
その鮭の姿に、彼は希望の光を見出されたのだ。
そしてこの影絵には、現実には無いものが二つ描かれている。
一つは、上の写真の右上の方にも見える、時計。
津波に襲われた時間を指して止まったままの時計だ。
そしてもう一つは、(下の写真の中の)瓦礫に刻まれた、宮沢賢治の詩。
この詩は、多くの子どもたちが犠牲になったある小学校に、掲げられてれていたものなのだそうだ。
原発事故の悲惨さを描くと同時に、藤城氏は、その中にも希望の光を感じとり描かれているのだ。
どんなに厳しい現実でも、それを怖れることなく真正面から見つめ、その中に希望を見出していく。
そしてそれを、一つの作品に創り上げる。
(300枚をはるかに超えるカミソリの刃を使い、指を傷つけながら‥。)
それは、強靭な精神力と体力を必要とする作業だ。
88歳のお歳で、その困難な仕事に、挑み続けられる藤城氏。
私は、そんな彼に深い尊敬の気持ちを抱くと同時に、藤城氏の今後のご健康を祈らずにはいられない。
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