百翔

あした天気になぁれ!

 人生無一文

2006-01-30 | Weblog

今月の22日午前一時過ぎに松江市内の病院で
ヨゼフ稲村重清さん97歳が亡くなられた。
稲村さんは、雲南市木次町平田の出身で
近所では腕の良い大工さんと言う事で通っていた。

そして、自分の死が近づいた頃になって
ようやく、自分の過去を語られた。
戦前の昭和10年に松江でカトリック信者として洗礼を受け
広島市郊外に住まいを移す。
そして、昭和二十年の原爆投下

大八車を引いて広島市内に入り
多くの重傷者を医師であったアルペ神父の居る
長束修道院に運び命を取り留めた人も居た。

そして、戦後の資材の乏しい中
津和野カトリック教会のパウロ・ネーベル神父の
招きを受け、乙女峠記念聖堂の建設に取り掛かる。
マリア聖堂は、幅6メートル奥行き8メートルの
小さなものだが、今でも乙女峠を登った場所に現存する。

その後、稲村さんは故郷の木次町に帰って
昼は大工、夜は午前二時頃まで聖書や建築の本
仏教美術の研究を深め、仏壇の製作も手がけられた。
木次町の「石照寺」の観音堂も現存する。

そして、稲村さんが亡くなられた後
松江カトリック教会に寄贈された
ぼろぼろになった聖書の最後のページに
「人生無一文」とあった。

<島根日日新聞1月28日の記事より要約して記載>
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