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今日は「終戦記念日」
何ゆえに「敗戦」と言わないで「終戦」と言うのか?
わらべ歌にあるように「負けて悔しい」なら
「敗戦」と言うべきで
この辺から隣国に付け入られる
「曖昧さ」が生まれるのではないでしょうか?
当地は「盆」であり
私は「敗戦記念日」です。
日本人は時間は「流れる」と感じ
時間は「積み重なる」ものと考える
諸外国と感慨を異にする。
日本の中で「忘れさせても」
相手は忘れて居ないのでは。
「くさいものに蓋」は
国際ことわざ辞典には載って居ないようです。
今日は「終戦記念日」
何ゆえに「敗戦」と言わないで「終戦」と言うのか?
わらべ歌にあるように「負けて悔しい」なら
「敗戦」と言うべきで
この辺から隣国に付け入られる
「曖昧さ」が生まれるのではないでしょうか?
当地は「盆」であり
私は「敗戦記念日」です。
日本人は時間は「流れる」と感じ
時間は「積み重なる」ものと考える
諸外国と感慨を異にする。
日本の中で「忘れさせても」
相手は忘れて居ないのでは。
「くさいものに蓋」は
国際ことわざ辞典には載って居ないようです。
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