ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

外面似大蛇内心如天女~『現在七面』の不思議(その20)

2009-08-16 23:44:31 | 能楽
上の面の裏に面アテを使わない二番目の理由は、上下の面が密着していないと、二つの面がズレる可能性があることです。これは怖い。面がズレたら目の穴がズレるということで、これは。。一巻の終わりです。もう何も見えないので演技も続行できませんし、誰もそれを助けられない。終わりです。(×_×;)  そのためには綿の入った面アテでは厚すぎて不安定なのです。そこで面アテよりももっと薄いもの。。たとえば和紙とかフェルトとかを外の面の裏側に貼り付けるのです。

ちなみに薄いフェルトなどを上の面の裏側に貼っても、面は密着させることはできますが、それだけでは二つの面がズレることを防ぐことはできません。そこで、ふたつの面の重ね方。。具体的には上の面の裏に和紙やフェルトを貼る、その方法に演者は工夫をしています。まあ。。これは個々の演者の工夫によることなので細かく説明することは控えますが。。相手が演者にとって神聖な能面ですから滅多な小細工はできませんが、この裏側の工夫によって、上の面がズリ落ちるのを防ぐように神経を使って細工をするのです。

上下の面を密着させたい最後の理由は、やはり二面を重ねると全体の厚みが増してしまって、演者の体格とのバランスが崩れる可能性があるからで、これは単純に「見た目」の問題です。実際、『現在七面』では二つ重ねた面の上に大きな白頭を着けるので、まだ違和感は少ないのですが、『大会』では天狗の装束~大ベシ見の面、赤頭、大兜巾、袷狩衣という大がかりな扮装の上に、それを隠すように釈迦面を掛け、水衣を着け、大会頭巾をかぶり。。これはバランスが崩れて、正直に言って異様な姿になります。

そもそも『大会』の装束には無理があるのですよね。つまり大きな天狗の装束の上に、むしろ ほっそりと華奢な印象のお釈迦の装束を着けるのですから。ところがそのアンバランスが、天狗が不器用に変身した、という感じの不安定さにつながり、お客さまには彼の努力の破綻を予感させることにもなり。結果的にこの「無理」はこの曲のシテの人格の愛すべき魅力にさえなっていて、成功していると思います。

一方『現在七面』では後シテは懺悔のために日蓮の前に現れるのであり、この女大蛇の登場はシリアスで、『大会』のような不安定さは演出効果として致命的な欠点になるでしょう。ところが良くしたもので、『現在七面』では下に着込んでいる変身後の姿がほっそりとした天女であって、その外側に着けられるのが大きな大蛇の装束。『大会』とはまったく逆なのです。

この二つの曲の面の重ね方についてはもう一つ面白い話があります。それは面の眼の穴の大きさの違いです。『大会』では前述のように下に大ベシ見を掛け、その上に釈迦を重ねます。いわば下が「動」を表す面で、従って面の眼の穴も大きい面です。その上の釈迦は いわば「静」であって、こういう面は眼の穴も小さいのが普通。ということはせっかく下に大きな眼の面を掛けていても、その上に小さな眼の面を掛けるということで、これは演者から見た視界はかなり制約されるのです。この点『現在七面』は下が「静」の増で、その上が「動」の般若(や眞蛇)で、外側の面の眼が大きいということは、その分 面を掛ける際にも比較的眼の穴の合わせ方が楽ですし、万が一上の面がズレた場合も、それが微細なズレであれば、演者の視界にも影響は少なくなる、ということでもあります。

こうした事情が関係しているのか、『大会』では変身前の後シテ、つまり釈迦の役の部分ではほとんど動作はないのに対して、『現在七面』の後シテ大蛇には型がたくさんつけられてアクティブに動きますね。もっとも「静」の役に動きが少なく「動」の役に型が多いのは当たり前ではありますけれども。。

ただ、先日師匠に『現在七面』の稽古を受け、またお囃子方をお招きして稽古能がありましたが、ぬえが舞うのを見ていた師匠や先輩からは「面を切る(=鋭く面を動かす)ことは止めなさい」と言われました。動きがある役ではありますが、やりすぎは禁物で、その結果面がズレてしまえば 演技の続行不能になるからなのですが、はて ぬえには良く意味がわかりませんでした。うまく面を重ねれば、多少動いてもズレることはない、と稽古を重ねているうちに ぬえには自信がついていたものですから。

ところが先輩のおっしゃるには「頭の上に大龍戴をのせている事を忘れるな」ということでした。なるほど! 大龍戴とは龍神役などで頭の上にのせる龍の建物のうち巨大なものを言います。大きいものは後ろに垂れた龍のしっぽが演者のお尻あたりにまで達するほど。面を切るとこの巨大で重い重い大龍戴がグラリと揺れて、そのために面をしばる紐にまで力を及ぼして、そうして面がズレてしまうのだそうです。ぬえは大龍戴を着るのは初めてで、その具合がわからないのですが、経験した先輩からは「ものすごく重いぞ」と言われました。なるほど、こういうのは経験した方でなければわからない、ありがたいアドバイスでした。

そういえば書生時代に太鼓を習っているとき、太鼓の師匠から金春流の人間国宝 故・柿本豊次師の出演控えを見せて頂いたことを思い出した。曲は忘れましたがやはり後シテが大龍戴を着る曲で、その手控えにはその日の演奏の具合を記したあとにひとこと、こう書いてありました。「後シテノ龍戴、重サウナリ」