今日は研能会8月公演の『現在七面』の申合がありました。装束も面も決まり、囃子方やおワキとの打ち合わせもすべて済ませて(今回はかなり多くの工夫がありますので。。)、あれあれ?? ふと気がつくともう『現在七面』の上演はあさってではありませぬか。
ああ~、このままではこのブログの『現在七面』の記事が上演当日になっても終わらない。。工夫についてや、曲そのものについても記したいのに。。ちとペースを上げて行きましょう。
物着の「イロエ」で装束を改め、大蛇から天女となった後シテは、後見座から立ち上がって舞台に進み出ます。このあたり、ぬえの師家ではあまり型はないのですが、サシ廻シ、ワキへ向き、橋掛リの松を見、と少々の型があります。
地謡「忽ち蛇身を変じつゝ。如我等無異の身となれば。空には紫雲たなびき。四種の花降り。虚空に音楽聞えきて。宜禰が鼓に類ふなる。報謝の舞の袂も。異香薫じて吹き送る。松の風颯々の。鈴の音も更け行く夜半の月も霜も白和幣。振り上げて声すむや。
シテ「謹上。地謡「再拝。
「謹上」と幣を振ったシテは「再拝」とこれを頂き、「神楽」という舞となります。「神楽」というのは面白い舞ですね。最初に「序之舞」と同じように囃子に合わせて足遣いをする「序」という部分があり、それから舞になります。舞の中は「掛カリ」「初段」「二段」と舞い進んでいきますが、この間 小鼓だけはずうっと「プ、ポ、プ、ポ。。」という二つの粒を打ち続けます。シテも扇ではなく幣を持って舞い、しばしば「沈ミ」の型があるのが特殊。笛の譜は「ラアラアヒャイツ、ラアラアラア。。」という、こちらもかなり特徴的な譜で演奏されます。
さて「二段」のあとに「空段」(そらだん)という段数としてはノーカウントの段があって、ここでシテは幣を後見に渡し、扇を受け取ります。このことからこの段を「幣捨て」とも呼び慣わしています。すると。。笛の譜が「ヲヒャヒュイヒョイウリ。。」とおなじみの譜に変わり、小鼓も常の舞の手に変わり、これより「神楽」は「神舞」となります。やがてシテが角に出ると「三段」となり、この「三段」と「四段」が「神舞」として舞われ、奏されるのですが、面白いのは「三段ヲロシ」に笛が吹く譜が常の「神舞」とは違った独特の譜で、これを「神楽返シ」と呼んでいる点でしょうか。この部分だけ「神舞」から ちょっとだけ「神楽」の雰囲気に戻る、という意味なのでしょうが、実際にはこのヲロシの譜はさきほどの「神楽」の譜とあまり似ているとも言えないようには思いますが。
「神楽」は女神が舞う舞です。女神であるのに「謹上再拝」と神を拝む言葉を言い、神慮をすずしめる幣を振って舞うのは ちょっと意味が通らないようではありますが、笛の森田流の『森田流奥義録』には次のような記述がありました。「神徳をたたえ、神の加護を請けようと神前で神慮をすずしめるために奏するお神楽を真似て、その構想に基づいて、女神霊が遊興的に舞う舞である」とあって、いずれシテは「神舞」となったところで真性の神となるのは疑いようがなく、その前に舞う「神楽」の譜の部分を「遊興」と捉えるところはちょっと面白い解釈だと思いました。なお同書には日本古来の神楽と能の舞の関係についてのかなり哲学的な考察が載っていますので、興味のある方は一読をお勧めします。
ちなみにこの『現在七面』と『巻絹』の2曲は、シテの性格が本格の女神ではない、という解釈からほかの曲の「神楽」よりは略式とされ、演奏の冒頭の「序」の部分を省略して演奏する「序ナシ神楽」が演奏される決マリとなっています。
じつは ぬえは能で「神楽」を舞うのは かつて『龍田』を勤めて以来で、これで わずかに2度目です。『龍田』の時に師匠からは「神楽」は厳しく直されまして、これは心に残っておりますね。この時教えて頂いたのは「神楽」はノリが命、ということでした。舞というものは囃子に乗って、多くの場合笛の譜にうまく同調するようにシテは舞うものなのですが、「神楽」だけはほかの舞とは違って、早め早めに動いて、次の目的地で止まって笛の譜を待つ、というつもりで良いのだそうです。今回は稽古でそれを思い出して早く舞ってみたのですが。。ビデオを撮ってみたら。。型が荒くなっちゃった。。何事もほどほどでなければいけませんですね。。
「神楽」が終わるとシテはワカを謡い、ついに終曲に向かって最後の場面「キリ」となります。
シテ「鷲の山。いかに澄みける。月なれば。
地謡「入りての後も。世を照らすらん。
シテ「嬉しや妙経信受の功力。
地謡「嬉しや妙経信受の功力。三身円満の妙体を受けて。和光同塵結縁の姿を現はし。垂跡示現して。この山の。鎮守となつて火難水難もろもろの難を除き。七福則生の願ひを満てしめ。代々を重ねて衆生を広く。済度せんと。約諾かたく申しつゝ。行方も白雲に立ち紛れて。虚空に上がらせ給ひけり。
キリはゆったりとした型で、「神楽」から一転、とっても平和な雰囲気で終わります。「もろもろの難を除き」と笛座前から左袖を返してサシ分をするのと、「約諾かたく申しつゝ」とワキへ向いて下居して、成仏して身延の鎮守となりながら、なお日蓮に深く帰依する様子が表現されるのが注目される型でしょうか。
こうして常の如くシテは常座で留拍子を踏んで、扇をたたんで幕に引きます。
<語釈>
鷲の山~=続古今集所収の法橋顕昭の歌。顕昭は仁和寺で門跡の守覚法親王に仕え、当時の歌壇の中心的人物のひとり。守覚法親王は後白河天皇の皇子で平経正との親交で能の中でも有名ですね。
三身円満の妙体=法身・報身・応身を完備した尊い身、すなわち仏のこと
和光同塵結縁の姿=光を和らげて塵に同ずる、の意で道教から出た言葉。仏教では仏が智慧の光を隠して煩悩の衆生に同じて救うことを言い、さらに日本では神は仏が仮の姿として現れたものだとする本地垂迹説となった。
七福則生=「七難即滅・七福則生」という対語で直前の「もろもろの難」を受ける。日蓮は法華経を信ずれば七つの大難はたちまちに七つの福に変わると説く。煩悩即菩提。
ああ~、このままではこのブログの『現在七面』の記事が上演当日になっても終わらない。。工夫についてや、曲そのものについても記したいのに。。ちとペースを上げて行きましょう。
物着の「イロエ」で装束を改め、大蛇から天女となった後シテは、後見座から立ち上がって舞台に進み出ます。このあたり、ぬえの師家ではあまり型はないのですが、サシ廻シ、ワキへ向き、橋掛リの松を見、と少々の型があります。
地謡「忽ち蛇身を変じつゝ。如我等無異の身となれば。空には紫雲たなびき。四種の花降り。虚空に音楽聞えきて。宜禰が鼓に類ふなる。報謝の舞の袂も。異香薫じて吹き送る。松の風颯々の。鈴の音も更け行く夜半の月も霜も白和幣。振り上げて声すむや。
シテ「謹上。地謡「再拝。
「謹上」と幣を振ったシテは「再拝」とこれを頂き、「神楽」という舞となります。「神楽」というのは面白い舞ですね。最初に「序之舞」と同じように囃子に合わせて足遣いをする「序」という部分があり、それから舞になります。舞の中は「掛カリ」「初段」「二段」と舞い進んでいきますが、この間 小鼓だけはずうっと「プ、ポ、プ、ポ。。」という二つの粒を打ち続けます。シテも扇ではなく幣を持って舞い、しばしば「沈ミ」の型があるのが特殊。笛の譜は「ラアラアヒャイツ、ラアラアラア。。」という、こちらもかなり特徴的な譜で演奏されます。
さて「二段」のあとに「空段」(そらだん)という段数としてはノーカウントの段があって、ここでシテは幣を後見に渡し、扇を受け取ります。このことからこの段を「幣捨て」とも呼び慣わしています。すると。。笛の譜が「ヲヒャヒュイヒョイウリ。。」とおなじみの譜に変わり、小鼓も常の舞の手に変わり、これより「神楽」は「神舞」となります。やがてシテが角に出ると「三段」となり、この「三段」と「四段」が「神舞」として舞われ、奏されるのですが、面白いのは「三段ヲロシ」に笛が吹く譜が常の「神舞」とは違った独特の譜で、これを「神楽返シ」と呼んでいる点でしょうか。この部分だけ「神舞」から ちょっとだけ「神楽」の雰囲気に戻る、という意味なのでしょうが、実際にはこのヲロシの譜はさきほどの「神楽」の譜とあまり似ているとも言えないようには思いますが。
「神楽」は女神が舞う舞です。女神であるのに「謹上再拝」と神を拝む言葉を言い、神慮をすずしめる幣を振って舞うのは ちょっと意味が通らないようではありますが、笛の森田流の『森田流奥義録』には次のような記述がありました。「神徳をたたえ、神の加護を請けようと神前で神慮をすずしめるために奏するお神楽を真似て、その構想に基づいて、女神霊が遊興的に舞う舞である」とあって、いずれシテは「神舞」となったところで真性の神となるのは疑いようがなく、その前に舞う「神楽」の譜の部分を「遊興」と捉えるところはちょっと面白い解釈だと思いました。なお同書には日本古来の神楽と能の舞の関係についてのかなり哲学的な考察が載っていますので、興味のある方は一読をお勧めします。
ちなみにこの『現在七面』と『巻絹』の2曲は、シテの性格が本格の女神ではない、という解釈からほかの曲の「神楽」よりは略式とされ、演奏の冒頭の「序」の部分を省略して演奏する「序ナシ神楽」が演奏される決マリとなっています。
じつは ぬえは能で「神楽」を舞うのは かつて『龍田』を勤めて以来で、これで わずかに2度目です。『龍田』の時に師匠からは「神楽」は厳しく直されまして、これは心に残っておりますね。この時教えて頂いたのは「神楽」はノリが命、ということでした。舞というものは囃子に乗って、多くの場合笛の譜にうまく同調するようにシテは舞うものなのですが、「神楽」だけはほかの舞とは違って、早め早めに動いて、次の目的地で止まって笛の譜を待つ、というつもりで良いのだそうです。今回は稽古でそれを思い出して早く舞ってみたのですが。。ビデオを撮ってみたら。。型が荒くなっちゃった。。何事もほどほどでなければいけませんですね。。
「神楽」が終わるとシテはワカを謡い、ついに終曲に向かって最後の場面「キリ」となります。
シテ「鷲の山。いかに澄みける。月なれば。
地謡「入りての後も。世を照らすらん。
シテ「嬉しや妙経信受の功力。
地謡「嬉しや妙経信受の功力。三身円満の妙体を受けて。和光同塵結縁の姿を現はし。垂跡示現して。この山の。鎮守となつて火難水難もろもろの難を除き。七福則生の願ひを満てしめ。代々を重ねて衆生を広く。済度せんと。約諾かたく申しつゝ。行方も白雲に立ち紛れて。虚空に上がらせ給ひけり。
キリはゆったりとした型で、「神楽」から一転、とっても平和な雰囲気で終わります。「もろもろの難を除き」と笛座前から左袖を返してサシ分をするのと、「約諾かたく申しつゝ」とワキへ向いて下居して、成仏して身延の鎮守となりながら、なお日蓮に深く帰依する様子が表現されるのが注目される型でしょうか。
こうして常の如くシテは常座で留拍子を踏んで、扇をたたんで幕に引きます。
<語釈>
鷲の山~=続古今集所収の法橋顕昭の歌。顕昭は仁和寺で門跡の守覚法親王に仕え、当時の歌壇の中心的人物のひとり。守覚法親王は後白河天皇の皇子で平経正との親交で能の中でも有名ですね。
三身円満の妙体=法身・報身・応身を完備した尊い身、すなわち仏のこと
和光同塵結縁の姿=光を和らげて塵に同ずる、の意で道教から出た言葉。仏教では仏が智慧の光を隠して煩悩の衆生に同じて救うことを言い、さらに日本では神は仏が仮の姿として現れたものだとする本地垂迹説となった。
七福則生=「七難即滅・七福則生」という対語で直前の「もろもろの難」を受ける。日蓮は法華経を信ずれば七つの大難はたちまちに七つの福に変わると説く。煩悩即菩提。