ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

外面似大蛇内心如天女~『現在七面』の不思議(その22)

2009-08-20 00:56:43 | 能楽
ワキ「かゝる不思議に遇ふ事も。かゝる不思議に遇ふ事も。ただこれ法の力ぞと。心を澄ましひたふるに。読誦をなして待ち居たり。読誦をなして待ち居たり。

待謡についで演奏される早笛(または出端)に乗って現れる後シテの持ち物は打杖。打杖には赤地、萌黄地、黒地などがありますが、じつは役割によって使う色が決められています。いわく若い女性の鬼では「紅入」というわけで赤地のものを使います。龍神は水中から上がってくるためか「萌黄地」。そのほかの役。。たとえば『安達原』などでは適宜それに合うような色。。たとえば黒地などを使っております。今回のぬえの『現在七面』の大蛇というのは、まあ。。龍神のようなものですから萌黄でもよろしいんですが。。ちょっと装束の色とは合わないかなあ、とも思っていますが。。

一之松に登場した後シテは数拍子を踏み、やがて舞台に入って型があります。このあたり、同じ曲なのですが家によってずいぶん型が違うところですね。ぬえの師家の型はだいたい以下のようになります。

地謡「あら不思議やな今までは(数拍子)。あら不思議やな今までは(左トリ舞台に入り)。妙に優なる女人と見えつるが(常座にてヒラキ)。さも凄ましき。大蛇となつて(角トリ左袖返シ)。日月の如くなる眼を開き(左へ廻り)。上人の高座を幾重ともなく(常座ヨリワキへ出ヒラキ下居)くるくると引き纏ひ(グワッシ二つ)。慚愧懺悔の姿を現し(立ち上り右へ廻り)。高座へ頭をさし上げて(常座ヨリワキへ出右へ飛返り)瞻仰してこそ居たりけれ(打杖を右に突き下居る)

威勢の良い型ではありますが、心は日蓮に帰依してかしづいているのですね。ゴロニャン♪と甘えている風情だと思うのですが、まあ般若や眞蛇ではそこまで表現するのは無理ですね。

この大蛇は懺悔のために本性を見せているのですが、それでも ぬえは、彼女(?)の心は幸福感に満ちあふれているのではないかと思います。なんせ前シテの間に日蓮から「二乗闡提悪人女人おしなめて。成仏する事疑ひなし」という保証を得ていて、なお大蛇は「懺悔のその為に。もとの姿を見せ給へ」と日蓮に言われて「報恩に。ありし姿を現」したのですから。懺悔のために醜悪な自分の姿を見せるのは、成仏を求めて人間の姿となり、その保証を得た大蛇にとって、恥ずかしいことではあっても威風を見せる場面ではないはずです。まあ、それでも般若や眞蛇の面を掛けて打杖を持って登場した後シテとしては日蓮に丁寧にお辞儀をするだけでは演じにくく、またそれではお客さまにも不満足になるはずで、こういうところは意外に演者のジレンマになるところのひとつでしょうか。

さて大蛇が日蓮にかしづくと、日蓮はあわてず騒がず法華経を取り出して声高らかに読誦します。

ワキ「その時上人御経を取り上げ。
地謡「その時上人御経を取り上げ。於須臾頃便成正覚と。高らかに。唱へ給へば忽ち蛇身を変じつゝ。


すると大蛇は一瞬の間に変身を遂げるのでした。。

<語釈>
於須臾頃便成正覚=「須臾の頃に於て便ち正覚を成ずる」法華経提婆達多品において、まさに八歳の龍女が成仏する直前の場面で、智積菩薩がその実現を信じずに言った言葉による。