結局、全共闘には言いたいことなんて何もなかった。
空気を読む
状況依存というのは、いわくいいがたい、一緒に行動せざるを得ない空気を作り出すからとても危ないのです、と養老孟子先生は仰っています。
それについて、山本七平が『「空気」の研究』でうまく説明しているのだとか。
曰く、日本人はみんな空気を読む。でも、後になるとどういう状況だったかわからない。その空気は時代のものだから。
面白いよなあ、いわゆるノンポリ、真っただ中にはいなかったものの、その世代で、運動の端の方にうごめいていましたが、今振り返るとその空気感ってとてもよくわかります。
内田樹と養老孟子の「逆立ち日本論」のこのあたりを読みながら、今、“時代が変わろうとしている”空気感をとても感じている僕は、そのトレンドに合わせて、時代の歯車を回すところに少しでもコミットできたらと考えて生活しているのですが、それって時代の空気?
面倒くさく面倒くさくしている
先日友人から、最近のブログを読んでいると、もっと単純に考えればいいのに、面倒くさく面倒くさくしているように思えますと。
確かに(^^;; それは、他に親しくしている方からも言われているんですね、、、
この本の前書きで養老先生は、内田さんは好悪がはっきりしていて感覚的に生きている人だとわかる。そういう人は抽象思考を苦手とすることが多いが、内田さんは例外的に二つを兼ね備えている。
感覚から入って抽象まで立ち上げていくから、抽象に危なげがないと。合気道をやっているからか、そういう人だから合気道をやっているのか。
だから、僕も内田樹を好んで読むんだろうと思いますが、きっと、僕の抽象は持って回って、まさに面倒くさく面倒くさくしているんだろうなあ。
ここにも修行の種があるようです。