<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

在りし日の若い母に思い切り抱かれてみたい

2018年07月30日 16時36分28秒 | Weblog

母に抱かれているわたしを思い出そうとするのだが、思い出せない。それはそうだろう。親が子を抱くのは物覚えがつく前のことだろうからだ。小学校にあがって、もしも優しく愛しく抱いてくれようとしたら、わたしは羞恥心を覚えて、そこら中を逃げ回ったことだろう。弟の兄にあるまじき振る舞いとして、わたしみずからによって排斥されたことだろう。父から男に成る教育を受けていたのだ。

四つ下の弟は、そのくせ、しょっちゅう母に甘えて、胸のおっぱいにむしゃぶりついていたのだった。母の膝の上に兄のわたしの居場所はなかったのである。母だって、それくらいの男らしい気概を、この世に早く生まれた兄のわたしに見出すことで安堵を覚えていたはずだ。わたしは甘えたくてもそれが出来ない位置に下がって、あるいは下げさせられて、ただただ母と子の呼吸を計っていたのである。

勿論その後に於いても同じで、わたしが母に抱かれることはついぞなかった。なかっのだから、思い出しようがないのである。でももういいだろう。いい年を取ったのである。羞恥心ももうかなぐり捨ててもいいだろう。若い母に思い切り抱かれてみたい。そういう思い出の中のわたしを描いて、差ししまったわたしの最後の時間までのひとときをとろとろ眠っていたい。

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そういう便利な心気球を発明してくれないかなあ

2018年07月30日 15時33分56秒 | Weblog

7月は明日まで。すぐに8月だ。海も山も賑わいを見せる。海にも行ってみたい。山にも行ってみたい。躰がついて行けないなら、ひとり心だけでも。そういう便利な心気球を発明してくれないかなあ。海をスウイ、山をスウイして飛び回ったら、さぞかし気持ちいいことだろう。

近くでは大輪の向日葵🌻が咲き誇る。連日のこの暑さをものともせずに、花の輪が昨日よりも今日、今日よりも明日と膨らんで、成長を続ける。まるで凛々しい若者のようだ。逞しい。痛みが薄れている僕は、今日はその若者になって、はしゃいでいる。心だけでなのだけれど。

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世の中がみな善意に満ちているように思われる、今日は

2018年07月30日 12時30分37秒 | Weblog

今日は痛みが退いている。熱もない。ギブスをつけて洗面できた。台所のテーブル席にも座れた。トイレに通えた。苦しみを抜け出たときの快感が、早速に気分を清涼にしてくれている。いい気なものだ。世の中がみな善意に満ちているように思われる。

ふ、痛いときには悪意だらけに見えていたのに、己の置かれた立場によって一転する。主観というのは当てにはならないのだ、だから。

台風一過。爽やかな夏空が青々と広がっている。風による被害なし。土はしっとり雨を含んでいる。

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