なにしろ、雨なんて二週間ぶりだ。ざあざあざあざあ、降り続く。干涸らびていた大地が一挙に潤った。これで一気に気温が下がった。雷神様は居丈高だ。何度も何度も地響きをさせて落雷を示される。おお、くわばらくわばら。臍を取られまいと近辺の子供達は台所のテーブルの下に逃げ込んでいるだろう。稲光の閃光が槍を突き刺して回る。自然界は猛威を振るうことが多くなった。旱魃の後では落雷豪雨だ。
待望の夕立だ。雨粒は小豆のように大粒だ。雨量が凄まじい。雷鳴が響き渡る。土砂降りだ。今年のは台風も洪水も、この雷雨も尋常じゃない。凄まじい。スケールが一段増している。たちまちのうちに、庭にも畑にも小川が流れ出した。バリバリバリバリイ、雷がどこか近くに落ちたようだ。でもでも、瀕死の状態にあった植物たちはさぞやよろこんだだろう。ゴロゴロゴロゴロ、大きな石が天空の谷間を流れ下るような音がする。稲光が手裏剣を飛ばして暴れまくる。
もういいよ、これくらい降ったら十分だよ、僕は、この急な訪問者に言って聞かせる。
ブログ、あのね、書こうと意気込むと、書けないよ。いま、書けない。たいして意気込んでもいないと思うけど。いいもの書こうとすると、まったく筆が止まる。せっかく読んで下さっているのだから、その結果で、がっかりされている顔は見たくないものね。
今日も猛暑が続いているようだ。ニュースだと、埼玉県で41・1℃の史上最高気温を観測したらしい。フェーン現象が起こっているためらしい。炎天下にいる生き物はみんな火傷を起こしてしまいそう。夕立が来てくれないかなあ。雨を降らせて大地を冷やしてくれないかなあ。
これだったら、書けたよ。でも、これは、読み聞かせの材料にはならないよね。うん、ならない。ぜったい朗読教室の机には列ばないね。ヘンな自信だね。
遊びに出たいなあ。家の中だけで過ごすのは息が詰まるなあ。
じゃ、何をして遊ぼうか。何処へ行って遊ぼうか。考える。考えるのは楽しいから。
といってもこの老爺と遊んでくれる者はいない。一人で遊ぶしかない。イメージするのは一人の姿だ。
イメージのわたしは、車を運転してふうらりふらりするしかない。ふうらりふらりが、果たして遊びと言えるのかどうか。怪しい怪しい。
怪我の左足の腫れはまだ退かない。氷で冷やしている。こんなんじゃ、活発にはなれない。外へ出て行くわけにも行かない。
我慢している。じっとしている。人様はそれぞれに楽しんで遊んでおられるだろうに、この老爺は、家の中でじっとしている。
胡瓜が豊作。毎朝毎朝の収穫。で、もう、冷蔵庫には貯蔵できない。近所近辺もどうも同じ状況のよう。貰ってもらえない。種から蒔いて育てたものを捨てるわけにも行かない。仕方がない。ドライ・キューカンバーにすることにした。切り役に名が掛かる。老爺の出番となる。お任せあれ。包丁と俎板でトントントントン薄く切る。これを平たくて丸い竹籠に列べる。大きな竹籠に3杯となる。これをベランダの日当たりに干してもらう。この猛暑だ。数時間で干乾しが出来上がる。これだと、腐りにくい。しばらく貯蔵ができる。
ドライキューカンバーの食べ方はいろいろありそうだ。水分がちょうどいい具合に飛んでいて、チョット変わった風味になって、酒の肴にもなる。
不潔男は朝起きて、気が変わらないうちにそそくさと風呂場に直行して、ザブザブザブとシャワーを浴びた。
石鹸まみれになる。石鹸はお乳の匂いがする。但し、人のそれではなくて、モウモウ牛さんのそれだが。いい匂いだ。それにしばらくまみれておく。幸福の中にまみれているような、錯覚に固まって。ふふ、いい気なものだ。こんなことで、この男は有頂天にもなれるのだ。この安上がりぶり。
最後は立ち上がって冷水を浴びる。冷たくて震える。これでシャンとなる。心も身も、ともに。
そして脱衣所へ出て、上下とも新しい下着に着替えて、清潔万歳をする。老人なのに、まるで幼児なみだ。まるでではなく、そのものズバリ幼児なのかもしれない。その老醜の外形の、内側は。何十年生き長らえても内側はそのまんま。成長をしていない。
おはよ。おとはとよ。お.は.よ。ねえ、おはようったら。
あ、ごめんごめん。おはよ。ふう、暑かったわね、夜中中。
男の子とそのお母さんの会話。男の子は後ろから近付いてきて声を掛けた。なるべく小さな声で。お母さんが、彼に気付いてくれた時点で、お尻に抱きついた。
お母さんはわざとお尻を大袈裟に振って見せた、左右に。でも、男の子は落ちなかった。両手を回していたから。身長がまだ低いので、片方の耳をぴったり、お母さんのはち切れるお尻に付けていなければならなかった。
お母さんは朝のお味噌汁の具になるタマネギを切っているところだった。もう片方の耳から俎板と包丁の音がした。
さ、おいしい朝ご飯がもうすぐよ。待っててね。お顔を洗って、さあ。お母さんが男の子の方へ振り向いて語り掛けた。