マッチ箱に収まるためには小さくなければならぬ。マッチ箱のマッチの軸は小さくしている。これでいいのだ。
わたしの住んでいるマッチ箱の宇宙は、しかし、とてつもなく巨大なのだが、小さくしている。でもこれでもいいのだ。
マッチ箱に収まるためには小さくなければならぬ。マッチ箱のマッチの軸は小さくしている。これでいいのだ。
わたしの住んでいるマッチ箱の宇宙は、しかし、とてつもなく巨大なのだが、小さくしている。でもこれでもいいのだ。
晩酌にとーろりとろり、芋🍠焼酎を飲んだ。うひひひ、うひひひ。たった一杯でこんなにウヒヒヒになるのか。安上がりな男だ、まったく。ゴトンキュウをしている。寝そべっている。他には何も要らない。
皆揃っていたからなんだ、他には何も要らないなんて、言えるのは。
皆揃っていたということは、秘密真理。たやすく信じてももらえることじゃない。たやすく信じてももらうことじゃない。
一人でニコニコしている。狭い了見の男だ、この男。
甘えるなと言って叱る。甘えているヤツを見ると、ふん、だらしがないと嘲笑ってしまう。
でもでもでも。神さまにも仏さまにも甘える。子どもは親に甘える。男は女に甘える。女は男に甘える。
だらしなく甘える。だらしなくなれることをよろこぶ。
(=^_^=)猫が人間に甘える。しかし、どうも、猫のヤツ、餌をもらえるからばかりではなさそうだ。
甘くなりたいのかな。🍅も甘くなる。桃も西瓜も瓜も甘くなる。熟れると甘くなる。
泥棒猫の放浪青年猫は甘えん坊猫(=^_^=)である。ニャーニャーニャーニャー鳴く。外へ出て顔を見せるとベッタリくっついて愛情をねだる。行くところ行くところへついてくる。離れない。終いには、猫嫌いな僕も、降参する。撫でてやる。顔を撫でてやる。長いシッポを撫でてやる。するとますますニャーニャーニャーニャー鳴く。声が赤ん坊になる。つっけんどんに出来なくなる。冷淡に出来なくなる。
外に出てみた。今日初めて外に出てみた。🍅畑を見て回った。雨が降り続いたので、🍅は膨れあがったり、割れたり裂けたりしていた。虫が割れ目裂け目から侵入していた。そうでないもの、傷物でない🍅をもいで来た。籠に二杯にもなった。冷蔵庫にしまって冷たくして食べるとおいしい。
「ねえ、わたしがいなくて淋しかった?」と女が聞いてくる。男は「そうだったかも」と短く答を返す。こちらの愛情確認を満たす答、火の出るような答がほしかったのに、これじゃ、あまりにも温度が低い。あいまいだ。女はがっかりしてしまう。この情景が歌になった。
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「Miss me?」の答は短くあいまいで悲しすぎるよきみの「Maybe」 イギリス 春澄
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寡黙な男よ、寡黙は罪なのだ。女に大きな罪を作ってしまう。言葉を介在させず、ただあらあらしく抱いてやるのが一番なのだ。などというのも失礼に当たるかもしれない。しかしいつも言葉が誠実を実行してくれるかどうかは分からない。
男と女の間には河がある。越えていけない河がある。越えてはならないのかもしれない。
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とめどなき遠さにひとは眠り行く 吾を腕(かいな)のうちに閉ざして 稲葉京子
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読者の手に委ねたが最後だ。歌は読者に踏みにじられる。どうにでも解釈されてしまう。
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ひとが永遠の眠りに就こうとしている。とうとうわたしはこの人との距離を埋めることが出来なかった。ぴったり寄り添う間柄であったのに、最後まで他人だった。そのくせ、わたしのこころを抱いている。量の腕でしっかり抱き寄せていて、わたしをそこの狭い領域に閉ざしておきながら、やはり遠く棲んでいて、そしてまた永遠の眠りの遠さに沈んで行く。・・・こう読んでみた。
普通の愛し合う恋人なのかもしれない。死のうとしている人を歌っている歌じゃないのかもしれない。ベッドで抱き合って眠っている図かもしれない。一足先に目が覚めた女が、ふっと男をみて、そこにとめどもないほどの遠さを感じている。
でも、遠いのだ。男と女の河幅は広いのだ。呼んでも呼んでも聞こえないことがあるのだ。愛しているという独り善がりと独り善がりの小舟が波間を擦れ違って進む。
物言わぬ男の肩の大きくて叩きやすくてときおり叩く 高橋則子
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ああだこうだと言ってみても、うんともすんとも言わない。じゃ、無視されているかというとそうではない。ちゃんと聞いていてその通りの行動を起こす。分かっていてくれているんだ、この人はわたしのことを。隅々まで。そんな誤解をも感じてしまう。
大きな肩をしている。肩もものを言わない。ものを言わない肩に訴えかけるのは、言葉という道具ではない。直接手で叩く。実力行使する。それでも反応をしない。受け入れられていると思うとそれが快感を呼んできて何度も叩く。そして女という地位を利用して、小悪魔に変貌する。
これを男がすれば、ドメステイック・バイオレンスになるところだ。好きな男には女は平気だ。ねえねえねえ、と言葉を合図にしながら、愛情の実力行使をしてくる。
個人的なことだが、この僕にはそういうことがなかった。甘えてもらえなかった。愛情表現を誘うような大きな肩をしていなかったからだろう。
喉白く五月のさより食(は)みゐるはわれをこの世に送りし器 水原紫苑
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「さより」はサヨリ科の硬骨魚。体は青緑色。細長い。肉は白い。淡泊な味がする。旬は春。五月に獲れたサヨリはことさらに旨い。
我をこの世に送った器とは? お母さんである。人間は陶器のように欠ける生の器である。だがものを喰う。上品に食(は)む。喉元が白いのはもちろん白身の魚を噛み砕いているからである。
台所でいっしょに夕餉を楽しんでいるお母さんを写生した写生歌。叙景歌なのにたっぷり叙情を吸っている。歌人はいつもこうしてカメラを向ける。生んでくれた母にもシャッターを押して憚らない。
ふん、これでちゃっかり独自の親孝行をしているつもりなんだろう。歌人のやりそうなことだ。