夏風が濠(ほり)を涼しくして遊ぶ 入道雲に滑るアメンボ 薬王華蔵
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壕に夏風が吹いている。日が翳って来た。さざ波が涼しい。うっすらと入道雲が水に映る。するとアメンボが入道雲まで昇って行って遊んでいるように見える。
暑い夏だけど、吹いて来る風は愛情深い。それを味わえるのも夏である。
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地上は楽しいところだ。いつもなにがしかのドラマが起こっている。賑やかなドラマもあるが、静かなドラマもある。静かなこころになって、静かに見ていると飽きない。
夏風が濠(ほり)を涼しくして遊ぶ 入道雲に滑るアメンボ 薬王華蔵
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壕に夏風が吹いている。日が翳って来た。さざ波が涼しい。うっすらと入道雲が水に映る。するとアメンボが入道雲まで昇って行って遊んでいるように見える。
暑い夏だけど、吹いて来る風は愛情深い。それを味わえるのも夏である。
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地上は楽しいところだ。いつもなにがしかのドラマが起こっている。賑やかなドラマもあるが、静かなドラマもある。静かなこころになって、静かに見ていると飽きない。
夕方の6時半を過ぎた。外は少しずつ日が翳っていくが、まだ明るい。アスパラガスの嫋やかな茎が、風に揺れだした。大気が動いているようだ。涼しくなってくれたらいいのだが。
弟の次男坊が、チェンソーを持って来てくれた。先日の台風で倒れた畑の桃の木と桑の木を裁断してくれている。助かる。暑くて汗びっしょり掻いているだろう。それが終わったら、我が家で飲んでいく。久しぶりだ。死んだ弟の子だから、弟によく似ている。いよいよ似てきた。
「正の連鎖」
わたしは昭和20年に台湾の台北で生まれた。爆撃が激しいときである。父は総督府に、母は一時小学校に、勤めていた。終戦は20年8月。翌年の3月に一家はキールン港から引き揚げ船に乗って帰国した。敗戦国の我々日本人が引き上げる時、台湾の人々は、日本人を襲撃せず、寧ろ別れを惜しんでくれたという。わたしは他の国で起こったような戦争孤児を免れたのである。帰国後、両親は恩義のある台湾の人々を褒め続けた。わたしは台湾の人々に強い親近感を覚えて育った。先日、日本贔屓の台湾の蔡さん一家3人が、両国の友好活動をしている友人宅にやって来た。友人もまた台湾生まれ。蔡さん一家との小旅行に誘われた。蔡さんは65歳、奥さんはそれより若い。娘さんは佐賀大学に留学した経験を持つ。日本語が堪能である。旅行中、双方、親から聞き継いだ思い出話になった。次の世代に交替をしているが、戦後73年、両国の子孫達がこうして仲良く食事を囲んでいる風景を見て、我が両親はきっと涙を流しているに違いないと思った。蔡さんもご両親から日本人の悪口を聞かずに育ったという。人と人、国と国との憎しみは憎しみを増す。その負の連鎖でなく正の連鎖を引き継いでいられることに感謝した。
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2018/07/20/金曜、朝刊の読者広場「男の星座」欄に、このわたしの投稿作品が掲載された。
うわぁぁぁぁ。水不足の植物たちが、炎天下で、みるみる枯れていきます。葉も茎も蔓も皺シワシワになっています。水をくれてないからです。ギブスに入っている足を引き摺っては、水遣りが出来ません。可哀想ですが、見て見ない振りをしています。広域です。庭も畑も同じ状況です。今日もまた暑い日。熱射が降り注いでいます。
お目覚め。「お」をつけてやりたくなった。己の目が覚めることに「お」をつけてやることは普段だったらしない。ところが、その己の所業が、はてはて、神さま仏さま級のそれに思えてしまったのである。尊く偉大に思えてしまったのである。
眠ると目は眠りの国へ行く。夢の国へ行く。目覚めると、そこから帰って来る。何事もなく帰って来る。そして此処を目覚めの国とする。此処をうつつの、生の、現実界にする。この切り換えの巧みさ。それでついつい「お」がついたというわけだ。
もしかしたら、この己の目は、死の国からもこうやって意気揚々と生還を果たしてしまうかも知れない、一瞬にして。瞬き一つで。
仏陀とは、実は、「目が覚めた人]のことである。だから、わたしたちは朝ごとにその目が覚めた人、仏陀になるのである。世にも尊き人、世尊となるのである。その目が覚めた人にはやはり、「お」を冠してあげたいのだ。
熱帯夜。暑いなあ暑いなあ。汗を掻いている。目が覚めてしまった。冷房を強くする。すると今度は喉を痛める。体温調節が難しい。左足のギブスが重たい。火照る。
高気圧が張り出してきていて、日本列島上で居座っている。招かれざる客、招きたくない客だ。夕立でもさっと降らしてくれないか。
さあ、朝が来るまでどうして過ごそう。読書するしかないか。活字を追っていたら、また眠気が襲って来るだろう。
生きている時間だ。疎かにはしたくない。空気を深く吸ってみる。お腹が膨らむ。おいしい。これが生きているということか。何度も、息をしてみる。
おいしいおいしいと言っていても、秒読みは停止されない。チクタクチクタク、生きていていい時間が潰されて行く。
仏陀のことを思ったら、秒読みが停止されるか。念仏したら、秒読みが停止されるか。いや、そんなことはない。座禅をしたら、どうか。どうにもならない。
どうにもならないから、おいしく息を吸えるのかもしれない。