午後6時を回ったが、涼しそうになっているようには見えない。畑に出ていく気持ちにはなれない。夕立はおととい来た。それからはまた日照りがつづいている。熱波が地上を包み込んで何ものをも逃さない。またもや庭や畑の植物たちは喘いでいる。
ネット情報では、アメリカ大陸ではなんとなんと52℃を記録しているそうな。世界各地が猛暑に襲われているらしい。余りの高温で世界各地の森林が火災を起こしているというニュースが相次いでいる。北極圏内も例外ではないらしい。明らかに異常気象だ。
午後6時を回ったが、涼しそうになっているようには見えない。畑に出ていく気持ちにはなれない。夕立はおととい来た。それからはまた日照りがつづいている。熱波が地上を包み込んで何ものをも逃さない。またもや庭や畑の植物たちは喘いでいる。
ネット情報では、アメリカ大陸ではなんとなんと52℃を記録しているそうな。世界各地が猛暑に襲われているらしい。余りの高温で世界各地の森林が火災を起こしているというニュースが相次いでいる。北極圏内も例外ではないらしい。明らかに異常気象だ。
お昼はコンビニの牛丼を買って来た。チンして貰ってから、我が家で一人食べた。値段の割にはおいしいと思った。甘すぎてもいなかった。牛肉も上等だった。自分の舌はそう判断した。さして、当てにはならないが。これだったらまた食べてもいいな。ふふふ。
新聞にお悔やみ欄がある。以前は決してみなかった。のに、この頃見るようになった。死んだ人の名前と年齢と住所、喪主、葬儀場かれこれの情報が読み取れる。偶に偶に見覚えの名がある。ああ、この方もこの地上を離れて行かれたのか、と悲しくなる。そして次に、「ああ、自分の番が近いうちには回ってくるんだなあ」と思う。わたしの訃報を読む人がいる。すっと読みすぎていく人がダンゼン多けれど、たまに同級生たちが目をとめてくれて、ほう、あいつも死んだのか、とちょっとだけ悲しい目をする。するかもしれない。しないかもしれない。嫌なヤツだった、清々した、と嬉しそうな笑みを浮かべてくれる、かもしれない。
2018年7月25日、水曜日、晴れ。桜の大木の辺りで、カマキリに捕まったような鳴き声がしている、にいにい蝉の。
寝汗をびっしょり掻いている。暑くて目が覚めた。エアコンの温度設定は29℃。低くする。タオルで汗を拭く。柱時計は1時半を指している。トイレを済ませる。ベッドの上で一人を感じる。手の甲に血管が膨れあがっている。
いつどうなるか分からない一人。今のうちにしておくことはないか。それを思う。いざその時が来たら、ああ、あれもまだだった、これもまだだったなどと、臍を噛むのかも知れない。それはしかし仕方のないことのようにも思われる。ごめんね、ごめんね、ということになるだろう、きっと。