<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

その後新しい快感が新しく生まれているだろうか

2018年07月26日 19時21分17秒 | Weblog

肌と肌を合わせていられるようになったのは、進化の過程のいつのころだったのだろうか。素肌と素肌は、二者の間のすべての介在を除去し去ったのである。彼等は直接の合一という体験に進んだのである。それまでは深いざらざらした体毛に覆われていたので、官能という類いの快感は味わえてはいなかった、オスもメスも。長時間、肌と肌を合わせていられるようになって、彼等は深い穏やかな思索に耽って、人類へと脱皮した。そこでなおさらに快感が数段も跳ね上がったのである。そして子どもを産む倍率が格段に上がった。子孫は繁栄を重ねて行った。快感というのは進歩を司っていたとである。それはいまも変わらない。変わらないはずである。

新しい快感は、その後新しく生まれているだろうか。人類のこれからの進化ということを考える。おそらくこのままの、現状維持と言うことにはならないだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年は蚊が発生していないって ほんとうか

2018年07月26日 17時15分41秒 | Weblog

「ねえねえ、今年は蚊が発生していないんだって」美容室に行って帰って来た早々の細君が、僕を捕まえてその大発見を伝えて来た。そこで話題になっていたらしい。「日照りで沸騰直前にまでなった溜まり水の中では、ね、ボウフラは生き残れないらしいのよ」「ふうん」僕は、相槌を打った。いつも細君のお喋りをあまり聞いていないことが多い。それでも不満ではないらしく、いつも勝手に、つけっぱなしのテレビのように、話しかける。「暑いのは嫌だけど、蚊がいなくなったのは大歓迎」美容室の女たちの話題はそこで終結を見たらしい。「蚊に食われないでいられるなんて、ね、どう、今年は爽快な夏になったわ」彼女のはいささか過大評価のようだ。今年は猛暑続きで熱射病に罹って倒れる被害が相次いでいる。それを片方の天秤に置いて、それに釣り合うような重さを持っている口振りだ。「でも、ほんとうに蚊はいないの?」僕は聞いてみた。僕は暑くて外に出ていない。このところずっと。外に出て行かないから、だから蚊に刺されてはいない。しかし、夜になっても、蚊取り線香は焚かれていない。侵入者はいないのか。噴霧器も使われてはいない。そこだけで判断したらあんがいほんとうなのかもしれない。これから外へ出てみる。鉢植えで育てている菊に水遣りをしておく仕事がある。「それで蚊に刺されなかったら、真実ということにするよ」僕は答えた。さあどうなんだろう。美容室でのトピックスというのがためされることになった。ためそうというような真面目さはあまり動いていないけれど。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

匂いは甘い匂いなのに

2018年07月26日 15時30分01秒 | Weblog

我が家の畑で収穫したプリンスメロン、切って冷やしてあったのを食べてみた、つまみ食いをして。一切れ。イマイチだった。匂いは甘い匂いなのに、味はそうでもなかった。食べたわたしの舌の方が、もしかしたら、せっかくの甘さを検知できなかっただけかも知れないが。或いは収穫のベストチャンスを逸らしてしまったのかもしれない。

匂いは甘い匂いなのに、そうではない。匂いというのは実態を助長するものなのか。測定値なのか。カモフラージュするものなのか。女の人と擦れ違って、通り過ぎて、甘い匂いがすることがあるが、あれはこちらの願望を刺激したために起こったことであって、実態を指し示す値ではないのかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手を繋ぐためにある手を繋がない

2018年07月26日 14時10分40秒 | Weblog

手を繋ぐためにある手を繋がない 風が来て手と手の隙間吹き抜けて行く    薬王華蔵

ではどうして手があるのか。繋げるようにしてあるのか。五本の指と指の合間に隙間が空いているのか。右手と左手を組み合わせるためなのか。

スカートが風に揺れている。公園の木陰の下にある石のベンチに来てわたしたちは遅い時間の弁当を広げた。切ない味がした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

好きな人と二人居ても 独り その11

2018年07月26日 14時02分10秒 | Weblog

11

でも、わたしは至って痴れ者、うつけ者。この世にいてやはり好きなおんなの人、優しく擦り寄って来てくれる人、美しい人が恋しくなったりもする。

現実を出たり舞い戻って来たり。ふわりふわり、揚羽蝶の羽のよう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

好きな人と二人居ても 独り その10

2018年07月26日 13時57分11秒 | Weblog

10

一人でいる。

独りを感じながら二人を感じることも出来る。

毘盧遮那如来といっしょにいると感じていれば、それで安らげる。それはそれで結構。大いに結構。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

好きな人と二人居ても 独り その9

2018年07月26日 13時55分12秒 | Weblog

その法を構築しておいたのは誰だ。誰なのだ。ブッダンサラナンガッチャーミーということになる。それをそうせしめていたその尊い方、仏陀に帰依します。一人でいても仏陀、毘盧遮那如来といっしょだったということだ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

好きな人と二人居ても 独り その8

2018年07月26日 13時49分08秒 | Weblog

(ここで、このシリーズを閉じてもいい)

わたしは仏陀を恋い焦がれる者、仏道という道を歩く身。だからこの道はブッダに行き着いている。

独りでいられるということは、ダンマンサラナンガッチャーミーということになるのか。それをそうせしめていた法=ダンマというものに帰依します。一人でいても、法といっしょだった、ということだ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

好きな人と二人居ても 独り その7

2018年07月26日 13時45分50秒 | Weblog

それがそうできるようにしてあったということだ。一人ででもこの世を楽しめるようにしてあったということだ。それをしたのは、では、誰なのだ。その枠組みを造っておいたのは、誰なのだ。

わたしという独りが、メダカのような小さい生きものが、此処に泳いでいる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

好きな人と二人で居ても 独り その6

2018年07月26日 13時42分53秒 | Weblog

一人生まれてきて、一人死んで行ける。一人で此処へやって来て、一人で此処を去って行ける。そう考えるとまた別の見方が出来る。勇気のある人に見えて来る。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする