1
死んでからがドラマの始まりである。本格的なドラマが始まって行くのである。わくわくわくわくするドラマが繰り広げられて行く。
われわれは途方もなく長い長いスパンで生きて活動して行くのである。
2
「東方偈」 初めの4句 大無量寿経下の巻より
東方諸仏国 東方の諸々の仏の国の
其数如恒沙 其の数は恒沙の如し
彼土菩薩衆 彼の土の菩薩衆は
往観無量覚 往きて無量覚をば観たてまつりき
3
「恒沙(ごうしゃ)」は「恒河沙(ごうがしゃ)」の短縮形。ガンジス川を指す。
「無量覚」は無量の覚りを開かれた無量寿・無量光如来、すなわち阿弥陀如来を指している。
「彼土」(=彼の土)とは、したがって、極樂浄土のことである。「土」は国土を指す。
「菩薩衆」とは、極樂浄土に往生したすべての人たちのことであろう。「菩提薩埵」の短縮形。梵語ではボデイサットバー。本来は、覚りの智慧を求めて大乗仏教の修行をする修行者を言う。
4
東方の宇宙に仏の国がある。無数にある。その国の数は、たとえて言えばガンジス川の砂の数ほどもある。みなみな、悟りを開いて仏に成った如来たちが建国した理想の国土である。その国々に迎えられた菩薩衆もまた、西方の極楽浄土に遊んで、阿弥陀仏に出遭ったのであった。
5
宇宙の東西南北上下四方八方に仏の国=仏国土がある。無数の仏国土がある。夜空に眺める星々のようにそれがみな光を放って輝き渡っている。そこへ往く。死んだ者は皆そこへ往く。其処へ往って生まれる。生まれてまずはじめに菩薩となる。そしてみな成仏して、あたらしい仏国土を建設する。なので、宇宙は限りなく広がって行く。そこを旅して回る。それぞれの覚りを開いた仏たちに出遭って行くのだ。その度ごとに新しい発見をしていくのだ。新しい感動に打ち震えて行くのだ。
6
死んでからがドラマの始まりである。死ぬまでだと思っていたのが、死んでからが本格的なスタートだということが領下されて行く。わくわくで始まって、そのわくわくわくわくが無限に連続して行く。
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インスピレイションで僕は書いているから、この4行の偈を解釈する仏教学者の説と違っているかも知れない。これは喩えて言えば、菩薩がする瞑想裡の天眼通のような神通力の所作に近いが、僕の場合はほとんど確証はない。