<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

王維の詩「春中田園作」を読む 詩人に同化してしばらく詩人となる 

2019年10月03日 18時19分59秒 | Weblog
「春中田園作」    春中田園の作  王維

屋上春鳩鳴  屋上に春鳩 鳴いて    
村辺杏花白  村辺に杏花 白し
持斧伐遠揚  斧を持して 遠揚を伐る
荷鋤覗泉脈  鋤を荷ないて 泉脈を覗う
帰燕識故巣  帰燕は 故巣を識り
旧人看新暦  旧人は 新暦を看る
臨觴忽不御  觴に臨んで 忽ち御せず
惆帳遠行客  惆帳す 遠行の客を  

屋根の上に春の鳩が来て鳴いて
村里には杏の花が真っ白に咲いて
まあ何と長閑(のどか)なんだろう

斧を持ち出して来て伸びた枝を切っている人
鋤を背負って穴を掘って水が出て来る泉脈を探している人
人間はまあ忙しい忙しい

燕は元の巣を見つけ出して帰って来たようだが
年を取っているわしは、暦を眺めてこれからの思案
どっちがいいやら

觴(さかずき)になみなみと酒を注いでみたが、飲めなくなったよ
遠く旅に出ている我が友のことを思ってさ
悲しくやるせなくなってしまったんだよ

季節は春。数羽の山鳩が屋根の上に下りて来て、いい気持ちに歌を歌っている。村里には杏の白い花がいま盛り。ゆっくりそれを愛でていればいいものを、それがそうできぬ。盃を手にすれば、今は此処に居ない我が友のことを思って、寂しさ哀しみが増してくる。いい年を取っているというのに、これだ。愛すべき故郷に暮らしていながら、これだ。制御不能の我が身が恥じられて来る。王維はそれを詩にしているのか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どうして頑くなな生き方しかできなかったのか。

2019年10月03日 17時05分23秒 | Weblog

夕顔の蔓が椿の大木に絡まって上り詰めている。大輪が白く華やかに咲き誇っている。椿の木の下を通りかかると女の人の化粧の匂いがして来る。慕情に近い感情が噎せ反って来る。そういうところから遠く遠く離れた位置を、終生頑なに保って来た己の男性が、疼いて来る。どうしてそんなに堅物で通さなければならなかったのか。どうして、柔らかな生き方ができなかったのか。この世はたしかに男性と女性で成り立っているというのに、なぜ自分はその成り立ちを、無視して過ごして来なければならなかったのか。しかし、ともかくもこの男は、そうして来たのである。女の人の白粉の匂いから遠ざかって暮らしてきたのである。それにこの男は十分に老いている。引き返すことはできない。

夕顔の大輪が匂う。女の人の化粧の匂いに匂う。そこへ、今になってすり寄って行く。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

捕まえられないでいる、ずっとずっと

2019年10月03日 14時10分01秒 | Weblog
文字を道具にしてまさぐっているのだが、捕まえられないでいる。何を掴もうとしているのか、それもはっきりしないままだが、わたしはたしかに、長い長い年月を掛けて、それを捕まえようとしているのだ。それはわたしの指と指の間を、巧みに擦り抜けて擦り抜けて行ってしまうのだ。捕まえたら、それがそこでたちまちに詩になるのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ときおり、チューバの楽器を鳴らしたような低重奏音がする。

2019年10月03日 12時34分08秒 | Weblog
雨が降ったり日が照ったりを繰り返している。僕は、だから、室内に籠もったままになっている。庭先には白い蝶々や黄色い蝶々が舞い遊んでいる。そしてときおり、ごうというバス・チューバの楽器を鳴らしたような風の音がする。案外ほんとうにバス・チューバの楽器が、大空に鳴らされてるのかも知れない。そおら、明るくなった。アスパラガスのしなやかな茎に宿っている雨粒が、きらきら輝きだして来た。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それっぽちでいいのだ

2019年10月03日 12時31分04秒 | Weblog
いい詩を書きたい。そればっかり思っているのに、書けない。どうしてなんだろう。どんな詩を? そうだなあ、やっぱり我が心を癒せるような。こころが扉を開けてくれるような。聞き耳を立ててくれるような。なんだそれっぽっちか。

それっぽちでいいのだ。僕の書く詩は、人様のこころまでは届かないだろう。僕の詩は、僕を慰めるほどの力しか発揮できないだろう。それでいい。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつのまにか居眠りをしてしまってた

2019年10月03日 11時47分20秒 | Weblog
本を読んでいる内に居眠りしてしまってた。心を癒す音楽を聴きながら。もうそろそろ正午だ。外を風が舞っている。舞う度に、アスパラガスの細長い茎が地上にお辞儀をさせられている。室内の気温は27度、湿度は70%。少しひんやりしている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とか何とか言いながら,野菜たちに楽しませてもらっているのだ

2019年10月03日 09時50分59秒 | Weblog
台風は過ぎ去ったのに、吹き戻しだろうか、ときおり突風が吹いている。横殴りの雨も加わって。霧雨程度だが。

それでもしばらく外に出ていた。外に出るだけで気分が快方に向かうから。そして秋野菜の発芽状態を見て回った。

なにしろいろんな種類の秋野菜の種を蒔いている。一袋には種が一杯詰まっている。だから、あちこちに分散させて蒔いている。蒔くのは、プランターにが多い。

発芽した幾種類もの野菜の苗が青々としている。それを眺めて回るだけでも心がハイになる。種は、しかし、必ずしもうまく発芽してくれるとは限らない。蒔き直しをしてもなお発芽しないというのもある。発芽しても1割にも満たないということもある。

せっかく発芽してもすぐに虫に喰われてしまうということもある。さまざまな虫たちが奇襲を掛けてくる。虫たちの食欲は旺盛だから、一夜にして、ぼろぼろに食い荒らされていることもある。がっかりする。

虫たちのために種を蒔いたのかしらんと思ってしまう。それから病気にもなってしまうこともある。うどんこ病になると、葉っぱは白く変色して、枯れてしまう。ヒヨドリが狙う。彼らも食欲が極めて旺盛である。

蝶が来て葉裏に卵を産み付ける。卵が孵化すると一斉に幼虫がこれを食糧とする。そんなこともある。飛蝗(バッタ)も食べ尽くす。それを乗り越えねばならない。ガンバレガンバレと声を掛けて回る。

順調に育ったら今度はこれを価値あらしめねばならない。つまり人様に食べてもらわなければいけない。しかも一番おいしい旬の時に。これはこれで難しい。もらってくれる人が次々にやって来てくれるとは限らない。捨ててしまいたくはない。

9 
保存方法があればそれに従う。大根は干し大根のカンコロにできる。白菜は白菜漬けができる。高菜は高菜漬けができる。保存方法を知らない種類の野菜は腐らせてしまうことになる。

10
とか何とか言いながらその都度その都度楽しんでいる。そうなんだ、楽しんでいるのだ。野菜たちに楽しませてもらっているのだ。楽しみというのを提供してもらっているのだ。ほかに楽しむことを持っていない老爺が、その提供を受けている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

強弱なんかない世界でいいのです

2019年10月03日 06時48分58秒 | Weblog
10
強くなるだけではないのです。ほんとうは強弱なんかない世界でいいのです。勝ち負けを争わないでもいいのです。尊敬を勝ち得ないでもいいのです。木はそうしています。植物はそうしています。それで平穏な森になっています。小鳥たちや虫たちを育てています。穏やかでいられのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

強くないと弱くしていられます

2019年10月03日 06時41分52秒 | Weblog
強くないと弱くしていられます。偉くないと偉ぶらないで済みます。影響力が消えます。敗者の譫(たわごと)に類することかもしれません、こんな戯れ事は。敗者は勝者を相手に出来ませんから、ひとりの土弄りに戻って来るのかも知れません。これが自然な成り行きかも知れません。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨夜は食用糸瓜料理が食卓に列びました

2019年10月03日 06時35分50秒 | Weblog
夕ご飯・朝ご飯・昼ご飯に、我が家の畑で収穫した野菜類がならびます。ふんだんにならびます。新鮮です。おいしいです。昨夜は食用糸瓜の料理がならびました。すこしだけねっとりしていました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする