<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

李白の、冬の月の詩を読む 詩情にしんみりしてしまう

2019年11月22日 18時46分50秒 | Weblog
「静かな夜の思い」     李白

床前に月光を看る/疑(うたご)うらくは是、地上の霜かと/頭(こうべ)を挙げて、山月を望み/頭を垂れて、故郷を思う/     五言絶句   李白(701~762)


この数日、わずかに霜が下り始めたね。畑のブロッコリーの葉っぱが白くなってそれを教えてくれる。そうだよね、11月ももう下旬にかかるんだものね。

李白の詩では、まずは明るい月の光が照っている。霜が下りたのではないかとふっと勘違いをしてしまっている。中国人は堅い木製のベッドでやすむ。そこまで月の光が射し込んできている。よく見ようと思って窓へ行って頭を挙げてみた。そのうち故郷の事が思われてきて自然と頭が垂れてしまった。

3句目4句目の対句がいいね。「詩仙」の称号を持つ李白の詩。溢れて来る詩情に、滲みるね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美しい地上に生きているのだ

2019年11月22日 16時59分54秒 | Weblog
午後5時20分。西の空が焼けている。長い筋状の雲がうっすら赤い。ああ、美しい。美しい地上に生きているということを再確認させられる。もうすぐ山の端に日が沈む。窓の外が暗くなる。気温が一挙に下がって行く。

美しい地上に生きているのだ。これを嬉しがる。己という人間がどんなに寂しくつまらなく生きていようとも、そういうことを一切気にせずに、地球は美しさを剥き出しにして回って行く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美しいご婦人を見かけた 見入ってしまった

2019年11月22日 16時15分50秒 | Weblog
ニューヨークから帰ってこられた人かなと思うくらいファッショナブルな、華やかなご婦人に目が止まった。ワンピース姿。長身。30代~40代か。しばらく動けなかった。離れて行きたくなかった。この世には美しいご婦人が、こうして颯爽と、目を挙げて、花のように生きておられるのだ。何だかそれが嬉しくなった。ほんの一瞬のことだった。すぐに見失ってしまった。

一瞬のことであっても、こんな老醜の老人に見詰められて、もしかしたら嫌な気持ちにさせてしまったかも知れない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

善哉吉無上 ああ、わたしの一生涯は吉無上だった

2019年11月22日 10時24分39秒 | Weblog
大威徳世尊、衆生を度さんが為の故に、無量億歳に於いて、而して乃(いま)し成仏することを得、所願已(すで)に具足したまへり。善哉吉無上、世尊は甚だ希有なり。一たび座して十小劫、身体及び手足、静然(じょうねん)として安じて動ぜず、其の心未だ嘗て散乱あらず、究竟して永く寂滅し、無漏の法に安住したまへり。今者(いま)世尊の、安穏に仏道に成じたまうを見て、我等善利を得、大いに歓喜(かんぎ)す。

今仏最上安穏無漏の法を得たまへり。我等及び天・人、これ最大利を得たり。
       妙法蓮華経「化城諭品第七」より

2☆
「大威徳世尊」というのは大威徳如来のこと。「我等」とは、その世尊を仰いでいる十六人の弟子たち。

これはその大威徳仏を讃歎賞賛している偈である。

読んでいるだけで、読者のわたしもこの賞賛の河の流れに合流して行く。いい気持ちだ。ほんとうにいい気持ちだ。最上安穏無漏の法を開陳している仏を想像するだけでいい気持ちだ。わたしの想像なんて、低級暗愚な想像なんだけど、それでもいい気持ちがする。

「善哉吉無上」に勝手に同化す。

今回人間として生まれて来た。そして妙法蓮華経に出遭った。導かれたのだ。これを喜んでいる。

もう三十年間ほどもこの経典を読んでいるのだが、それでも理解は甚だ浅い。1ミリほどもない。それでも惹かれている。此処へ来る度に安堵を分けてもらう。

法華経に出遭えたわたしの一生は、何はさておき、善哉吉無上であった。最大利を頂けたのである。大きな顔をして死んで行けそうな予感すら感じる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

外は曇り空 どんよりしている これも空の色よ

2019年11月22日 07時38分44秒 | Weblog
空はどんよりしている。鉛色。これも空の色よ。南の海では台風がまた発生したらしい。その影響だろうか、この曇り空は。まだ早過ぎるよなあ。でも、そのうち雨になるのかなあ。

いいよいいよ。僕は遊び人なんだから。外で仕事をしている方は雨になると濡れる。濡れると寒さが募る。風邪を引きやすくなる。僕は濡れないところで、音楽を聞いていればそれで済む。

価値なしと見ると、価値がないように見えてしまうが、価値ありと見ると、そこは価値無限存在の世界に早変わりする。僕もまた其の中に吸引せられて行く。どう見るかでどうにでも変化する。しかも、どう見てもいい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

禅悦食 こころが静かになったときの食べ物 安らぎという食べ物

2019年11月22日 07時28分06秒 | Weblog
禅悦食。ぜんねつじき。禅はこころの安定した状態。揺れが収まると、そこへ喜悦が訪れて来る。これをいただく。おいしくいただく。こころの腹が満ちる。

風が収まるときがある。波が収まるときがある。騒ぎが鎮まることがある。苦悩の火が弱まるときがある。煩悩の高熱が引くことがある。静かになれるときがある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

法喜食というこころの食べ物を食べる。おいしく食べる。

2019年11月22日 07時14分12秒 | Weblog
法喜食(ほうきじき)とは、こころの食べ物のことだ。法を喜ぶという食べ物。法とはダンマ。法の働く世界。仏陀の教えとその教えられる真理、真理あるところを指す。法喜食の食べ物がわたしのまえに列べられる。

蕎麦の畑に今蕎麦の花が白く咲いている。ダンマが咲いているのだ。ああ、美しい。咲いたという事実の前に立っているだけで、こころが安らげられる。この世界は花の咲く世界。様々な花が様々に咲いて、仏の世界を荘厳している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひょいひょいひょい

2019年11月22日 07時02分26秒 | Weblog
ひょいと出掛けて行って、またひょいと帰宅したくなる。「ひょい」が好きなんだなあ、この老爺は。行きたくなって帰りたくなる。風の戦ぐ葦草のように、寂しさに、翻弄されている。朝風呂はいい気持ち。温泉街は白い湯煙。気温が下がると湯煙が冴える。ここのホテルは六階建ての広大なホテルなのに、泊まり客が5~6人と少なかった。要らぬお世話だけど、これじゃ経営が苦しいよなあ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

皇帝ダリアが冬空を輝かせている。威風堂々。

2019年11月22日 06時28分13秒 | Weblog
草丈の高い皇帝ダリアが冬空を輝かせて凜々しく咲いている。ああ、きれいだ。きれいだ。太良高等学校の校庭が見えるところに群生している。有明海の海岸線沿いにはところどころに、この皇帝ダリアの群生を幾つかある。皇帝の名にふさわしく、辺りを圧倒して君臨している。いまが季節。万物が枯渇憔悴して行く冬に、寒さをものともせずに咲く花は珍しい。

我が家の庭にも、数年前には、厳かに咲いていた。草丈の余りの高さに対応できず枯らしてしまった。冬を彩る花は価値がある。もう一度苗を買って来てみようかな。別名キダチダリア。

茎が堅くなって木質化する。メキシコ、コロンビアあたりが原産地らしい。成長すると5~6mにも達する。寒くなった11月下旬からが花の見頃。短日植物。日照時間が短くなると花芽を着ける。霜には弱い。3月~5月頃が苗を植える適期らしい。

「皇帝」の「皇」は、美しく大なること。「帝」は、徳が天に合する意。秦の始皇帝が初めて王の名称とした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする