玉藻かる敏馬(みぬめ)を過ぎて夏草の野島の埼(さき)に船ちかづきぬ 柿本人麻呂 万葉集巻の3
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岩波新書の「万葉秀歌」上巻を読んでいる。著者は斉藤茂吉。よくよく研究されているなあと感心感歎する。
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「羈旅歌八首」の中の一首。古人は、ここでは船の旅をしている。「船が敏馬(みぬめ)を過ぎて、さあ、いよいよ野島の埼に近づいて来た」という時間的空間的移動の、長い時間に跨がる<動き>を感動にしている。その頃の船の移動は危険を多く伴っていたのかも知れない。それとも、船の行く先に待ち人があったのだろうか。あるいは、船中に貴人がおられて、その方に、<もうしばらくでございますよ>とお慰めを申し上げているのだろうか。
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<敏馬>は、摂津の武庫郡の、小野浜から和田岬までの一帯を指す地名。現在では神戸市灘区のあたりらしい。<野島>は淡路島津名郡にある村の地名。とすると瀬戸内海を越えて行く旅をしていることになる。小さな舟であれば、勢いのある潮の流れに棹さしていかねばならない。長い時間を要したであろう。
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<玉藻かる>は、<敏馬>に掛かる枕詞。<夏草の>は、<野島>に掛かる枕詞。
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斉藤茂吉は此の歌を高く評価している。<驚くべき好い歌である>としている。結句の<船ちかづきぬ>が、枕詞の重複によって、それ以外の句に余計<客観的で感慨が籠もり、特別の重みがついている>としている。
<そろそろ目的地に着きましたよ>に力点が絞れたのかもしれない。
歌というのは、ことばによる<意思の伝達>に力が籠もっているのだろうか。本来はそうであったかも知れない。
浅学非才の僕にはここらあたりがよく分かっていない。どんな歌であれば、秀歌なのだろう? 斉藤茂吉に説明を受けて初めてなるほどこういうのが秀歌なのかと思わせられるだけである。