<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

しばらく庭に出てみようか。台風一過。するべき仕事が見つかるだろう。

2020年09月07日 16時57分05秒 | Weblog
あ、腹が減ったな。

まだ5時。夕食までにはもうしばらくあるな。

待とう、それまでは。

お昼はうどんだった。肉うどんを作ってもらった。玉葱を切る作業は僕が担当した。

僕だって、目がきりきりして、涙をこぼしたけど。これは僕の役目になっている。

夕ご飯は何かなあ。俎の音がしている。

しばらく庭に出てみようか。台風一過。出て行けば仕事が見つかるだろう。
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わたしの童話、その二回目。

2020年09月07日 16時34分53秒 | Weblog
さっき、「わたしは死を体験していません」と書きましたが、この主語は「わたしたち」とするべきでした。わたしたちは死を体験していません、みんな。

このときの主語は、しかし、肉体の「わたし」や「わたしたち」ではありません。わたしたちの「本質」のことを言っています。

それから肉体のわたしだって、そうです、ほんとうは。肉体のわたしが死ぬのも、あれは仮です。死んだと見せているだけです。しばらくのさよならをして、休憩に入ります。

何処へ行って休憩するか? もちろんふるさとに帰って休憩をするのです。

しばらくはわたしたちはわたしたちの本質と合体します。

だからわたしたちの肉体が見せる仮の死を恐がらなくてもいいのです。あれはあくまで「仮に」です。

眠っているときといっしょです。ここでエネルギー補給をしているのです。ですから、わたしたちは眠ったり目覚めたりを繰り返しています。

みんなそうしていますから、何処かではいっしょになります。やあ、やあと声を掛け合うことがあります。魂の顔見知りなんです、たがいに。


これもわたしの童話です。さっきの童話の続きです。童話を書いているのはラハー・マロー・ズッテです。彼は生まれて来るたびに、つまり形を取るたびに、この名前で自分を呼んでいます。

年齢は、だから、宇宙の年齢に等しいのです。

あ、誤解しないで下さいよ。宇宙だって「見えているとき」と「見えなくなるとき」を繰り返しています。見えないときには、エネルギーを補給しているときです。補給して元気になったらまた姿形を見せてきます。

その一貫した宇宙の、年齢と、わたしの年齢がいっしょです。あ、間違いました。わたしたちとすべきでした。わたしは一人ではありません。たくさんの、たくさんのわたしといっしょにいのちをエンジョイをしています。

いのちは、ふるさとを持っています。
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わたしを知っている人はいませんか?

2020年09月07日 15時57分04秒 | Weblog
わたしの名前はラハー・マロー・ズッテ。わたしを知っている人はいませんか?

でもこれは、魂(スピリット)の名前ですから、魂同士でないと、それと分かりません。瞳の奥をじっと見てください。そこに固有のわたしが見えるはずです。

魂はこの世に生まれてきたときには肉体を宿にします。肉体の名前は両親がつけてくれます。

わたしはもう何度でもこの世に生まれてきました。その都度、肉体の名前は違っていますが、スピリットの名前はずっと同じです。

大きな大きなスピリットの分身です、わたしのスピリットは。この世からふるさとに戻って来たら、わたしは全体と合体します。

わたしは何度でも何度でも生まれてきました。生まれてきたときにはその都度その都度肉体を借りました。これはもちろんわたし一人がそうしているわけではありません。みないっしょです。

スピリットは一度も死を体験していません。ふるさとを行き来しているばかりです。わたしたちはこの宇宙をあちらへこちらへ旅をして、楽しんでいます。あちらにもこちらにも、だから懐かしい友人がいるはずです。たくさんいるはずです。


これはわたしの童話です。
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わたしを知っている人はいませんか?

2020年09月07日 15時57分04秒 | Weblog
わたしの名前はラハー・マロー・ズッテ。わたしを知っている人はいませんか?

でもこれは、魂(スピリット)の名前ですから、魂同士でないと、それと分かりません。瞳の奥をじっと見てください。そこに固有のわたしが見えるはずです。

魂はこの世に生まれてきたときには肉体を宿にします。肉体の名前は両親がつけてくれます。

わたしはもう何度でもこの世に生まれてきました。その都度、肉体の名前は違っていますが、スピリットの名前はずっと同じです。

大きな大きなスピリットの分身です、わたしのスピリットは。この世からふるさとに戻って来たら、わたしは全体と合体します。

わたしは何度でも何度でも生まれてきました。生まれてきたときにはその都度その都度肉体を借りました。これはもちろんわたし一人がそうしているわけではありません。みないっしょです。

スピリットは一度も死を体験していません。ふるさとを行き来しているばかりです。わたしたちはこの宇宙をあちらへこちらへ旅をして、楽しんでいます。あちらにもこちらにも、だから懐かしい友人がいるはずです。たくさんいるはずです。


これはわたしの童話です。
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腹ができる。腹ができているとあわてふためかない。

2020年09月07日 10時58分38秒 | Weblog
腹を壊す。と、下痢をする。腹が痛む。

その反対は?

腹を治す、とは言わない。


腹を探る。腹にあるものは、ほんものか。

腹を探られる。痛くもない腹を探られることも。


腹を収める。これで仲直りする。だったら収めるべきだ。

頭、胸、その下が腹。その下が尻、尾てい骨。

腹をひっくり返すと背。


立腹とはいうが座腹とは言わない。

腹は寝せておけ。とは、よく聞く。怒るな。激昂するな。ろくなことにはならない。


腹が大きい。小さい。腹には度量が棲みついているようだ。度量は大きい方がいい。腹が大きい人は重心が低い。揺らがない倒れない。

人の腹は小さくも大きくもできるらしい。


腹黒い。あいつは腹黒い、とは言われたくない。


腹ができる。あいつは腹ができている。見上げたものだ、と誉める。何が襲って来ても、うろたえない、のだろうか。信頼がおける人物か。


腹の中は見えない。臓器ばかりが入っているところでもなさそうだ。
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腹が立つ。腹が座る。立ったり座ったりする腹。

2020年09月07日 10時20分11秒 | Weblog
腹が立つ。と、不安定になる。すると、怒る。人を責める。襲いかかる。

腹が座る。と、安定する。すると、落ち着く。矢でも鉄砲でも、平気で受け入れる。

腹を据える。と、まな板の鯉になる。あるいは鉄壁になる。頑丈になる。恐れなくなる。

腹を捩る。と、笑いが止まらなくなる。よじた腹から、笑いが噴き出して来る。腹が火山になる。

でも、腹は寝ない。


腹を割る。腹を割って話すと相手は受け入れる。

腹を括る。と、いざ出陣の準備が整う。

腹を絞り出す。と、うんちが出る。と、すっきりする。

腹を切る。と、切腹して息が絶えてしまう。切らない方がいい。

はらはらする。はらはらするときの、はらは?
腹だろうか、やはり?
はらはらどきどきするのは、胸あたりじゃないのかなあ。

腹に満たす。これは順当。腹は満たすところ。でも空かすところでもある。空腹が人を健康にする。やる気にもさせる。

腹いせ。語源はなんだろう?
腹いせにされたら嫌だよね、何でも。怨念が悪臭を放つ。

人間に腹がある。なかなか役目が多い。

腹が座ると落ち着く、腹は座禅をする。できれば、安心が住む場所にしとおきたいなあ。
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口はものを食うところである。

2020年09月07日 09時25分07秒 | Weblog
肉体には口がある。ものを食う。口はものを食うところ。がつがつ食う。こうしないと肉体は元気にならない。活動ができない。活動するためには食わなければならない。なんとしても食わなければならない。それで食う快楽を付与してある。だから、快楽に任せてがつがつ食うことができる。食欲にして付与してある。欲望があれば、食いはぐれることはない。心配がない。食わなくなってしまえば、肉体は衰える。死に絶える。うまくしたものだ、肉体は口がある。口はものを食うところである。
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詩はチョコレートケーキ🍰

2020年09月07日 08時52分36秒 | Weblog
詩はチョコレートケーキ。舌覚が欲しがる。

舌にのせて、とかして、舐めたがる。

チョコレートケーキ🍰がないかなあ、何処かに。手の届くところに。

詩は甘くてとろける。舌覚が舐めたがる。
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新聞はまだ。休刊日になっているのかな、それとも。

2020年09月07日 08時27分00秒 | Weblog
玄関の郵便受けを見に行った。新聞はまだ配達されていなかった。

だよねえ。この嵐じゃ、危険極まりない。危険を冒すことはない。

風が収まったから、これから配達されてくるのかな?

それとも休刊日になっているのかな、あらかじめ。

いまはテレビがあるから、情報はいつでも手に入る。新鮮な情報が手に入る。

それだけ活字の新聞の、一日一回の情報提供の、存在価値が薄れてきているのかもしれないが、新聞には新聞の魅力がある。

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どうしたんだあ? にゃおにゃおと鳴き続けるAちゃん。

2020年09月07日 08時20分26秒 | Weblog
猫のAちゃんが、おにゃあおにゃあと鳴く。続けて鳴く。

どうしたんだあ?

僕の書斎の窓際の濡れ縁に上がってきて、こっちを覗いている。

どうしたんだあ?

分かったぞ。

台風が過ぎ去ったので、ほっとしているんだね。

逃げ回っていたのかな、一晩、嵐の中を。

そして朝方になって風がゆるくなって、じわりじわり戻って来たのかな。


そうか。僕にも声をかけているつもりなのか。

「心配していた台風がこれくらいですんで、ね、よかったね、ね、ね」って。
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