さっき、「わたしは死を体験していません」と書きましたが、この主語は「わたしたち」とするべきでした。わたしたちは死を体験していません、みんな。
このときの主語は、しかし、肉体の「わたし」や「わたしたち」ではありません。わたしたちの「本質」のことを言っています。
それから肉体のわたしだって、そうです、ほんとうは。肉体のわたしが死ぬのも、あれは仮です。死んだと見せているだけです。しばらくのさよならをして、休憩に入ります。
何処へ行って休憩するか? もちろんふるさとに帰って休憩をするのです。
しばらくはわたしたちはわたしたちの本質と合体します。
だからわたしたちの肉体が見せる仮の死を恐がらなくてもいいのです。あれはあくまで「仮に」です。
眠っているときといっしょです。ここでエネルギー補給をしているのです。ですから、わたしたちは眠ったり目覚めたりを繰り返しています。
みんなそうしていますから、何処かではいっしょになります。やあ、やあと声を掛け合うことがあります。魂の顔見知りなんです、たがいに。
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これもわたしの童話です。さっきの童話の続きです。童話を書いているのはラハー・マロー・ズッテです。彼は生まれて来るたびに、つまり形を取るたびに、この名前で自分を呼んでいます。
年齢は、だから、宇宙の年齢に等しいのです。
あ、誤解しないで下さいよ。宇宙だって「見えているとき」と「見えなくなるとき」を繰り返しています。見えないときには、エネルギーを補給しているときです。補給して元気になったらまた姿形を見せてきます。
その一貫した宇宙の、年齢と、わたしの年齢がいっしょです。あ、間違いました。わたしたちとすべきでした。わたしは一人ではありません。たくさんの、たくさんのわたしといっしょにいのちをエンジョイをしています。
いのちは、ふるさとを持っています。