<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

生きている日を楽しまねばなりませんね。

2020年09月14日 12時44分20秒 | Weblog

今日は月曜日です。9月の第2週目に入ります。まもなく午後一時。暑くなってきました。気温が28℃あります。でも、冷房しなくてもいいくらいです。ベランダに干してある洗濯物が乾きそうです。わたしは生きています。生きている日を楽しまねばなりませんね。

風は吹いていません。細く柔らかいアスパラガスの茎でさえ、かすかにも動いていません。青い空青い空青い空。秋空が晴れ渡っています。日の光が大地にくまなく行き渡って、まばゆいです。

朝が寒く感じられたので、わたしは長袖長ズボンをしています。お昼が終わりました。いつものように冷や麦を茹でてもらって食べました。喉通りがいいのです、麺は。

座椅子に座って、真宗大谷派のお坊さんの講演録を読んでいます。今日郵便で送られてきた小さな雑誌に掲載されていました。読んでいると落ち着きます。お釈迦様のことが述べられています。

庭に蝶々が番(つがい)で来て飛び回っています。のどかな山里の秋です。昨日集落を歩いたときに畦道に彼岸花を見つけました。まだ開花していないで、蕾んでいますが、蕾みも真っ赤にしています。わたしは生きています。生きている日を楽しまねばなりませんね。

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そうだった、田圃の稲こずみでかくれんぼをして遊んでいた頃があった。

2020年09月14日 10時14分17秒 | Weblog

稲こずみ笑いこらえてかくれんぼ     佐賀市 吉原恵子さん

これは、9月12日のS新聞読書文芸川柳部門の入選作。俳句でも川柳でもよさそうな。この句がふっと目に留まった。わたしは秀句だと思った。

ふっと情景が浮かんだ。やったことがある。ずっとずっと昔、幼い頃にやったことあり。

以前は田圃に稲束がこずんであった。田圃は乾いていた。刈り込んだ後の切り株だけが残されていた。そこに十の字に交互に積み上げてあった。稲こずみは田圃の中に幾つも幾つも列んでいた。そこでかくれんぼをして遊んだ。稲こずみの陰に隠れていると北風が避けられた。くくくっと忍び笑いをこらえていた。鬼の足音が聞こえて来ると、一気に飛び出して走った。

川柳と俳句の境目は何処にあるんだろう? 

情景が目に浮かぶのはどちらも同じだろうか。

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歌でも歌ってないとさみしくってならないのだろう。

2020年09月14日 09時27分08秒 | Weblog

ハアー、長い道中で、ハー、雨降るならばヨ、ハー、わしの、ハー涙と思うくれ。

ハアー、心細いよ、ハー、山路の旅はヨ、ハー、笠に、ハー木の葉が散りかかる。

民謡「秋田馬子唄」より

民謡は味がある。深い情けの味がある。

馬子唄だから、馬喰(ばくろう)さんだろう。馬を引いて山野を一人歩くのだろう。

歌でも歌っていないとさみしくてならないのだろう。

わたしは馬を引いていないけれど、さみしくってならない。

歌を歌ってないけれど、さみしくってならない。

 

♪ ハー、一人寂しや、ハー、馬喰の夜道ヨ、ハアー、あとに、ハー、轡(くつわ)の音ばかり ♪

 

♪ ハアー、一人夜道が、ハー 二人であればヨ、ハアー、月が、ハー、お供を買って出る ♪

 

これはわたしの作詞。歌詞を一番追加してみた。

 

二人であればさみしくないか。そんなことはない。

こころが一人であれば、集合が何人になってもさみしい。

 

こころがさみしくなくなれば、なんとしょう。

浮かれて騒げばなんとしょう。それでもぽつんとしている月影があったら、なんとしょう。

 

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櫨が色づいている。秋が来ている。

2020年09月14日 08時55分30秒 | Weblog

櫨が色づいている。

櫨の実もなっている。

秋が来ている。

真っ赤になった葉っぱもあるが、

真っ青なままの葉っぱもある。

そのコントラストも見事だ。

昨日、檀家寺の寺報を、配りに歩き回っている内に、見つけた。

櫨の木を見つけた。老木の櫨の木を見つけた。

櫨の実は蝋燭の原料。それはもう昔の話。今は誰も見向きもしない。

櫨の木の下を行くと、櫨負けをしてしまうから、

ちょっと離れたところを通り過ぎた。

 

そこから真っ赤な櫨の、今年初めての櫨紅葉(はぜもみじ)を見た。

わたしは檀家寺の世話人。やる気のない世話人。

人の前に立ちたくない性格だから、世話人をするのを嫌がる。

どうしてこうなんだろう。嫌がる。

でも仕方がない。無理矢理引き受けさせられたから仕方がない。

わたしは役に立たない老爺。

利他行をしないから、無頼人。

杖をついてとぼとぼと集落の中の小径を辿って歩いた。

合計8軒の家に寺報を届けた。

それだけで疲れ切った。

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即興詩 6 「どうして触れたいのでしょう」

2020年09月14日 08時43分00秒 | Weblog

どうして触れたいのでしょう?

 

そりゃ、触れるために手があるからだよ。

どうしてあの人に触れたいのでしょう?

 

そりゃ、わたしに触れられるためにあの人がやって来るからだよ。

てったって、わたしはあの人の息に触れるだけ。

ふうと吐くあの人のためいきに触れるだけ。

 

よけいにさみしくなるばかり。

あの人は小鳥になってやって来て、わたしの手に乗って、

小鳥の声を聞かせて、また山へ帰って行く。

 

それなのに、わたしの手はあの人を影絵にして、触れたがる。

影絵には五臓六腑がない。

五臓六腑がない影絵はやっぱり影絵。

 

夕日に生まれた人の影。横断歩道のたくさんの人の、影。

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T君より、白身の魚のハゼの刺身を頂く。天麩羅にする。

2020年09月14日 08時21分49秒 | Weblog

鯊。昨日、ハゼを頂いた。白身の魚。有明海から川を上って来る。城原川の河口で釣ってきたばかりの新鮮なのを。

きれいにさばいてあった。天麩羅をするだけにして。

 

以前にも頂いた。その折りに「おいしいおいしい」と書いてメールを届けていた。

それで今回にも。30尾もあった。紙で覆って水分を吸わせてあった。

 

それで夕食にさっそく天麩羅にして揚げてもらった。ぴちぴちを食べた。冷酒をちびりちりして楽しんだ。嬉しい嬉しいだった。

ほかに薩摩芋、オクラ、シシトウ、人参も天麩羅に加えてあった。

 

おいしいもの幸福に浸った。T君ありがとう。料理をするのがタイヘンだったろう。包丁さばきがうまいから、しかし、案外、短時間ですませたかもしれないが。

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即興詩 5 「わたしのあの人」

2020年09月14日 07時41分50秒 | Weblog

書くことに欠いて、今日は<あの人>を登場させてみた。

あの人はいろんなことをわたしに語って聞かせる。

 

わたしはそれを筆記記述する。

あの人に「あなたが好き」と言わせてみる。

それでおしまいにする。

 

肉体のお腹が減っているわたしは、その足で、朝ご飯を食べに行く。

たましいのお腹が、此処にいるわたしを満たしてよと催促する。

わたしもひもじいと駄々をこねる。

 

魂に、「あなたはわたしに好かれているよ」と耳打ちしてみる。

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即興詩 4 「あの人に触れてみる」

2020年09月14日 07時24分23秒 | Weblog

あの人にふれる。ふれてみる。

幽霊ではないわたしが、幽霊ではないあの人にふれる。

 

ふれていると、生きていることがたしかめられる。

手を離す。

 

するとあの人が、「どうしてわたしを離したの?」って問いかける。

わたしはもう一度ふれてみる。

上げ潮の潮が立ち上がってうんと盛り上がったところに、

うんと張り詰めているところに、手を這わせてみる。

 

あの人のあたたかいいのちに手を這わせてみる。

あの人が「悲しい」って言う。

ふたりとも死んで行ってしまうのが悲しいって言う。

 

いきなりだったので、わたしはびっくりしてしまう。

いのちは死なないよって、わたしがつぶやく。

いのちは永遠を生きているよ、と言ってなぐさめる。

 

わたしはあの人の全身に手を這わせてみる。

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わたしは誰かに待たれているか。

2020年09月14日 07時11分22秒 | Weblog

わたしは誰かに待たれているか。

待たれていない。

 

森の道に来て、ふっとそれが心配になる。

どんぐりが枯れ葉の上に幾つも幾つも落ちている。

わたしは誰かに待たれているか。

待たれていない。

わたしは誰からも待たれていない。

 

それが証拠に、どんぐりが落ちた。

誰にも待たれていないのか。

ほんとうに誰にも待たれていないのか。

ほんとうに待たれていない。

 

静かな静かな森の道にどんぐりがまた一つ落ちた。

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待つ人がいるということはうれしいこと。

2020年09月14日 06時50分42秒 | Weblog

人を待つ。

待つ人がいる。

待つ人がいるということはうれしいこと。

とってもうれしいこと。

胸の奥にそれが宿る。

胸の奥にうれしいことが宿る人はうれしい人。

うれしい人になって時を過ごす。

朝を過ごす。昼を過ごす。

 

朝も昼もうれしい人になっているけれど。

あの人はそれを知らない。

あの人は来ないかもしれない。

足音が遠くから聞こえて来る。

耳を澄ます。息が弾む。

 

夕日が落ちる。

足音が消える。

近付いてきた足音が玄関先でふっと消えて、鈴虫の声になる。

 

 

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