<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

同意者の数は反同意者の数に等しい。これでシーソー遊びができる。

2020年09月24日 08時46分20秒 | Weblog

雨音が高くなって来た。気温も下がっているようだ。長袖シャツを着込んだ。

同意者と反同意者は等しくなっている。これでシーソーをして遊んでいる。

片方だけが片方を圧倒するなんてことはない。

反同意者の数は同意者の数に等しい。バランスがとれている。

うまくいったぞ、しめしめ。そういってほくそ笑む。しかし、それをよくは思わない人だっている。同調してくれる人もいる。

気に病まないことだ。

社会全体でシーソー遊びできるんだから、それでいいのかもしれない。

Aだ! いやBだ! 表だ! いやそうじゃない裏だ! 肯定と否定はせめぎ合う。 

いちいち気に食わない。自己主張がぶつかり合う。

評価は定まらない。

どっちだって己を評価をして欲しい。己を評価すると他者を評価しないことになる。

難しい世の中だ。難しい世の中をどうやって暮らしていくか。

今日は雨降り。秋雨が降って畑の土を潤している。しばらくそれを眺めて暮らしている。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しっとり潤いたいのに、乾いたままのこころがある。

2020年09月24日 08時29分42秒 | Weblog

吹きおこる秋風鶴をあゆましむ     石田波郷 月刊誌「NHK俳句」10月号より

俳句を分かりたい。日本人の愛して止まぬ俳句が分かる人間になってみたい。そう思う。そう思うが、近づけない。?っと思ってしまう。

しっとり潤いたいのに。乾いているこころがある。そこが砂漠になっている。

鶴が渡って来る。秋風が吹き初める。と、鶴の翼に風がふくらんで、鶴を浮かせる。鶴は細い足をとととととと歩ませる。

俳句は季節の調律師である。ピアノが鳴る。ぽろろんと鳴る。

風景が見えてきたらいいのだろうか。俳句を読む人に、風景が開かれてくる。風景になじむ。眼中に浮かび上がる風景が、渇いた心を潤してくれる。

すると、そこにいくばくかの落ち着きが得られて、しっとりとなる。思わず泣きたくなる。かさかさにかさくれていた感情が、一滴の湿りを帯びる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ともかく雨の日は畑に出て行けない。行かなくて済む。

2020年09月24日 07時58分25秒 | Weblog

ともかく雨の日は畑に行けない。行かなくて済む。今日は、じゃ、何をしよう。晴耕雨読というじゃないか。雨読も楽しい。怠け者のする読書は、読んだところで教養人の領域には入れないけど。

昨日我が住むふるさとに新庁舎が完成した。お披露目会が催された。図書館も移動した。いままでは図書室だった。ずいぶん広くなったらしい。行って見てみようか。注文していた本が届いたと電話も入っていたことだし。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつものんびりしているのに、更に加えてのんびりとなる。

2020年09月24日 07時51分46秒 | Weblog

雨が降ると水遣りをしなくて済む。助かる。その分、のんびりしていられる。秋野菜の種蒔きをしたら、水遣りは欠かせない。発芽して、育って、移植したら、数日はまた水遣りが必要になる。けっこうな時間になる。

いつものんびりしているのに、さらにのんびりなる。朝寝、昼寝が誘いをかけてくる。しばらくとろりとする。このとろりがいい。快感を得る。老人の快感なんて高が知れているなあ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幾分か今日はハイな気分なんだろうね、百舌鳥さんは

2020年09月24日 07時43分05秒 | Weblog

夜明けの後、百舌鳥は電線に止まって、今日は幾分ハイな気分なんだろうか、ルリリリリリと鳴いている。鋭いキキキキキではなく。百舌鳥は幾つもの鳴き声をする。しばらく鳴いて飛び去って行った。彼女でも見つかったのだろうね。

庭のあちこちから虫の音も聞こえて来る。気温は21℃。やや、ひんやりする。雨はどうやら小降りになっているようだ。それでも、空の色は鉛色だ。まだ降り足らないだろう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする