ああ、さみしいなあ。
てっ、つぶやいたって、どうにもならないけど。
そう。どうにもならない。
仏典を読んでも癒やされない。だらしなくしている。
さみしさを癒やす薬はないか。手元にはないなあ。
ほろりほろり泣くか。
泣いたってどうにもならない。
じゃ、やっぱり旅に出るか。
幾山河
越え去り行かば
さみしさの果てなむ国ぞ
旅を行くのは若山牧水ひとりではない。
ああ、さみしいなあ。
てっ、つぶやいたって、どうにもならないけど。
そう。どうにもならない。
仏典を読んでも癒やされない。だらしなくしている。
さみしさを癒やす薬はないか。手元にはないなあ。
ほろりほろり泣くか。
泣いたってどうにもならない。
じゃ、やっぱり旅に出るか。
幾山河
越え去り行かば
さみしさの果てなむ国ぞ
旅を行くのは若山牧水ひとりではない。
つまはじきされている、という思いを抱いている。相手にされていない。
そうなるようなことをしてきたからだ。罰を受けているようなものだ。
だから恨みがましくすることもできない。自業自得はやるせない。
どっか消え失せるしかない。ひょいとまたぞろ旅に出たくなる。
貢献しなかったから、仕方がないのだ。与えていないのだから、あたえられることもない。
だから他者からの貢献を、ゆめ、期待をしてはならない。
貢献はサービスと置き換えて良い。他者へのサービスに努めてこなかった男は、それだけの低下の男になった。つまらない男になった。
さみしいなあ。声が出る。聞いてくれる人もないのに、声が出る。
一線を退いた老爺なんだから、さみしがらなくったってよさそうなのに。
暇があるとさみしがる。暇なんかないといいのに。
働いている頃は、「暇がない」「暇がない」と暇を欲しがったくせに。
老いて、職を退いたら、いまは暇の山。山また山。
さびしさの谷に、さびしさの霧が湧いて、さびしさの雲が浮かんでいる。
さびしさをまぎらそうと、訪ねて来て、遊んでくれる人はいない。
それを要求するほどの魅力を発散していない。持ち合わせてもいない。
あれこれとあるのだろうが、遊びを探しもしない。ぽつんとして取り残される。
白菜の間引き菜の味噌汁だった、今朝は。おいしかった。秋を味わえた。
我が家の畑に育った白菜ではない、残念ながら。これはスーパーで求めた。
我が家のはまだ発芽したばかり。それもちらほら。うまく発芽していない。
秋になると秋野菜が食べられる。これで家族の健康が増進される。有り難い。
雨が降り続いている。でも雨量は多くない。午前7時の外気温は22℃。ややひんやりする。秋の虫がりりりり、ちちちちと鳴いている。
今日は金曜日。明日から4連休になる。何をして過ごそうか。でもあいにくの天候だ。秋のお彼岸を迎えて、田園の小径に彼岸花が咲き誇る。
何をして過ごそうか。老爺だから、連休を待って活動するということはない。じっとしている方が似合う。それに生来の怠け者だ。
雨が上がったら畑に出て、フカネギ苗を植え付けよう。200本も買って来ている。溝を掘るのが一苦労だろうが。雨が降っても大相撲は開催されている。
おおおお、雨の音がいきなり高くなって来た。降り出したぞ。大粒の雨のようだ。窓を閉めないと飛沫が流れ込んで来そう。