<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

一日が過ぎた。生きていられた。有り難い。

2020年09月11日 19時30分19秒 | Weblog

いちにちが過ぎた。元気でいられた。有り難い。

 

空気を吸ってみる。いつも吸っているけど。意識して吸ってみる。

 

胸を張って、肺の奥深くまで。すすすすすうううっと。

 

おいしい。生きているんだ、まちがいなく。

 

いずれ死ぬ身。いずれ死ぬ身がいまはこうして生きている。

 

おいしく息を吸っている。それをあらためて重大事件にしてみる。

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町の苗物屋さんに行って、ラッキョーの苗を買ってきた。

2020年09月11日 18時18分53秒 | Weblog

町の苗物屋さんに行って来た。ラッキョーの種を買ってきた。

(種とは言えないかな。しわしわになった去年のラッキョーだ)

いま水に漬けている。一年ぶりに水を吸っている。だから嬉しそうだ。

今晩一晩こうしておく。明日には生き返るだろう。

そうしたら畑に直播きをしよう。植え付けよう。

明日雨が降らなかったならばだが。

 

ラッキョーからすれば、わたしは救いの神ということになるだろうな。奉られることになるだろうな。ウシシシだ。彼らはわたしによって復活が成し遂げられるのだから。わたしが明日いきなり神様になれるなんて、なんと空恐ろしいことなのだろう。

農業従事者はしかしみなこれをなさっているのだ。農業は尊い職業だ。

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いつも軽んじられている人は菩薩の行をしていることになる。

2020年09月11日 17時40分28秒 | Weblog

いつも軽んぜられる菩薩。そういう菩薩がいらっしゃる。

希有な。まことに希有な菩薩様だ。

常不軽菩薩という名の菩薩様だ。

法華経の経典に説かれている。一章を設けて、説かれている。

説いたのは、お釈迦様である。

この菩薩様は人を軽んじないという修行に徹底された。

人を軽んじないという修行は、同時に、人からは軽んじられるという修行になっている。

人を軽んじてそこではじめて己が浮かび上がる。そういうケースが多い。

軽んじられている彼は、上から目線ではないのだ。下から目線なのだ。そこが違う。ほとんどの救済者は、救済者の立場、高い立場を維持されている。この常不軽菩薩様は、同じく救済を願っておられるのだが、被救済者よりも低い位置だ。下に入って来て、潜り込んできて、押し上げられる。救い上げられる。不思議な菩薩様だ。

4☆

彼は会う人会う人に手を合わせられる。礼拝行をされる。仏道修行者なのに、仏典を読まれることもない。説法をされることもない。

「あなたはやがて仏様になられる方です」「わたしはあなたを敬います」「あなたを軽蔑することはありません」と言って両手を合わせ、尊敬を実行される。それを生涯の行とされた。何度生まれ変わっても。

5☆

人々は気味悪がった。ものをねだるだけの乞食に等しいと思った。石を投げた。棒で打った。あっちへ行けと言って追い出した。それでもそういう人たちを礼拝された。悪口を言わず、憎まず、恨まずを貫徹された。

6☆

「あなたはやがて仏になります」というのを「授記(じゅき)」と呼ぶ。お釈迦様がお弟子たちにこの授記をされた。仏様、如来様しかできない行為である。それを一介の乞食坊主がしていいるのだから、傲慢に思われたのだ。無理もない。これは傲慢な行為である。

7☆

人には仏性が宿っている。みな宿っている。仏性というのはやがてその人が仏になって行くということを意味している。そういう仏性のある人を軽蔑はできない。尊敬をするしかない。

8☆

この菩薩様は、「人は最後には仏陀になって行く」ということを説いて回られたのである。これは仏教が説いていることだ。

9☆

他者を軽んじないということは難しいことだ。軽んじられても軽んじられても、それでも他者を軽んじない。これは至難の業だ。

わたしにはできない。

10☆

彼、常不軽菩薩は、この修行を、生まれても死んでも、また生まれてもまた死んでも、それでもずっと続けられて、とうとう仏陀になられた。お釈迦様の前世のお姿だったと経典が書いている。

11☆

軽んじていいはずはないのである。人を軽んじていいはずはないのである。軽んじていいことを見つけ出したとしても、だから軽んじていいということにはならないのである。

12

今日は法華経を読んだ。常不軽菩薩品を読んだ。そういう修行をされている人が現代にもいらっしゃるように思う。

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一羽も飛んでこない。どうしたんだろう、ほんとに。

2020年09月11日 17時34分20秒 | Weblog

いま、もう夕方。5時半過ぎ。どうしたんだろう、雀が来ない。

 

心配になる。日が落ちてだんだん薄暗くなって行く。

 

一羽でも来ない。どうしたんだろう。何か病気でもはやっているのだろうか。

 

餌場に来ない。近くにも姿を見ない。隣家の瓦屋根にも止まっていない。

 

あんなにぺちゃくちゃぺちゃくちゃお喋りしていたのに。雀界に、明らかに何か異変が起こっている。

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今日は朝からまだ一度も姿を見せない。

2020年09月11日 13時53分53秒 | Weblog

今日は朝から一度も姿を見せない。どうしたんだろう? 

食い合わせが悪くって寝付いているんだろうか。

庭に雀さんが来ない。

餌場にはくず米を山盛りにしてあげているのに。

腹が減っていないのかなあ。

天気が良くないからだろうかなあ。

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大腸さん、よく我慢しているなあ。

2020年09月11日 13時47分51秒 | Weblog

屁が出る。臭い。そりゃそうだろう。食べたものを消化器官が総力を挙げて消化したんだから。発酵させて消化を助けたんだから。これでエネルギーを授与されたんだよ。動き回れるようにしてもらったんだよ。屁が臭い。大腸の直腸結腸さん、よく我慢してるなあ。肛門さまも、忍耐強いなあ。こうやってみんなご主人様に貢献しているのだ。屁が臭いなんて顔をしかめちゃならないよなあ。

 

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民謡が酒になる。度数の高い酒になる。

2020年09月11日 13時17分17秒 | Weblog

一番好きな民謡はなんといっても九州日向の木挽き歌。歌うと気持ちが良くなる。民謡が酒になる。度数の高い酒になる。安上がりだ。

♪ ヤレー、山で子が泣く、山師の子じゃろ。ほかに泣く子があるじゃなし。ハアー、チートコパートコ。♪

♪ ヤレー、大工さんより、木挽きが憎い。好いた二岐(ふたぎ)を引き分ける。ハー。ピートコパートコ。♪

山師とは木挽きのこと。昔は鋸一つで山中の大木を切り倒していたのだろう。赤子を背負って山に入って、茣蓙に寝かせて、木を切っていたのだろうか。木挽きは筋肉隆々。ふふ、精力家だっただろうから、子供が次々と生まれたのかもしれない。

「好いた二岐を」の歌詞は「仲の良い木を」ともある。

木挽き歌が奥山に響き渡る。いいねえー。好き好きの娘さんと彼氏の仲を引き裂くのは誰だ! 木挽きさんか? 違うだろう。

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奈良の東大寺の毘盧遮那仏は会津磐梯山の娘婿?

2020年09月11日 13時07分38秒 | Weblog

♪ エンヤー、会津磐梯山に、振り袖着せてヨ、奈良の大仏、エー、マター、婿にとる 。チョイサーチョイサー ♪

これは民謡「会津磐梯山」の歌の台詞。

これも昨日お風呂で歌った。窓を開けて歌った。日本の民謡を楽しんだ。一オクターブくらい上げて。

磐梯山は娘さん。振り袖を着ている。振り袖は秋の紅葉だろうか、春の桜だろうか。奈良の大仏さん、って、東大寺の毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)だよね。そうかー、お婿さんだったのかー。発想が愉快だ。毘盧遮那仏は宇宙仏。話がでっかいぞー!

 

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熊野神社のご神木、なぎの木の、なぎの葉っぱって? 

2020年09月11日 12時28分44秒 | Weblog

このお爺さんは日本民謡を歌う。歌うのが好き。歌うと機嫌が戻る。反対か。機嫌がいいから歌い出すのだろう。

 

お風呂でゆっくりして、昨日は歌った。南部牛追い歌を歌った。高音を張り上げて。

♪ 田舎なれどもサーハーエー、南部の国はサー、西も東もサーハーエー、金の山、コラサンサエー。♪

♪ 今度来るときゃサーハーエー、持って来てたもれやー、奥の深山のサーハーエー、なぎの葉を、コラサンサエー。♪

「なぎの葉」って? 

知らない。調べてみた。漢字は木偏に那と書く。熊野神社のご神木らしい。護符として袖や傘につけたらしい。再厄除けのお守りとしていたとも。マキ科の常緑高木。針葉樹なのに葉が広い。葉っぱは裏表が、男女の仲のように、あまり違わない。そこで男女の縁が切れないように、女性が鏡の裏に潜ませていた、らしい、古代。

ふううん、勉強になった。写真も載っていた。葉っぱがつやつやしていた。

え? 南部地方って、何処だったっけ? 沢内三千石、お米の出どこ、とある。南部鉄器の山地だったよね。

辞書で調べた。南部氏の旧領地の通称で、青森、岩手、秋田の3県にまたがるところ。特に盛岡地方のことをいうらしい。

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午前中に友人が来た。お喋りをした。

2020年09月11日 12時19分34秒 | Weblog

友人が来た。午前中に。冷房をしている台所に上がってきてもらって、そこでお喋りをした。家内も話しに加わった。小城羊羹を切ってお出しした。彼はもう大根の種を蒔いて、それが一夜漬けにできるくらいに成長しているらしい。ふううん、我が家はまだ種も蒔いていないのに。急がなくちゃ。彼はラッキョーもニンニクも植え付けをすませたらしい。溌剌としていた。同級生なのに、これだけも違うのか。全身に力がみなぎっていた。

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