<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

そんなにしてまで正当化しなければならないのか。

2020年09月27日 11時05分27秒 | Weblog

ふふん。せせら笑いをしてしまう。自嘲のふふん、だ。己を嘲(あざけ)る笑い。こいつに捕まってしまう。

そんなにしてまで正当化しなければならないか。愚かな!

結局は「愚かな!」で締めくくることになる。

生きていること、死んで行くこと。あの人が恋しいこと。恋しくてもどうしようもないこと。腑甲斐ないこと。そんな生き方に甘んじていること。認められたいこと。認められないこと。信のうすっぺらなこと。邪の濃厚すぎること。

否定と肯定。自己否定に苦しめられる。そこでちゃっかり自己肯定に回る。

そしてそして、ふふん、になる。感情が台風のように気圧を重くする。暴れ回る。逃げ回る。

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わたしの今日の短歌鑑賞。手に負えない感情の白馬が駆け回る。

2020年09月27日 10時43分19秒 | Weblog

手に負えない白馬のような感情がそっちへ駆けていった、すまない 

千種創一「砂丘律」 NHK短歌10月号記載

手に負えないほど若い白馬が後ろ足前足を高く挙げて暴れ回っている。いなないている。野原を駆けて駆け回る。止めがたい。コントロール不能になっている。感情は荒野だ。うっそうとしたジャングルになっていて、彷徨う足の足下あたりがぬるぬるしてもいる。

そういう感情が押し寄せて来ることがある。我が胸を掻き毟って暴力を振るうことがある。一人の内側だけではすまなくなって、そっちへ駆けだして行ってしまう。そっちには愛しい人が居る。感情の白馬があの人に襲いかかる。

わたしはすまないと思う。コントロールが不能になっていたとはいえども、やはり申し訳がなかった。あの人はとまどっている。どうしていいかわからなくなっている。言葉の白馬をこしらえてやれなくなっている。それが分かる。

しかし、しかし、恋というものはそういうものなのじゃないか。暴れ馬なのじゃないか。我が手には負えないのじゃないか。そういう荒ぶる感情が恋なのではないか。と、開き直っても見るが、大人げなくもある。わたしはとうに二十歳は超えているのだから。

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悲しいことに、目が姦淫をする。

2020年09月27日 09時34分52秒 | Weblog

(B)

この老爺もそこのとろだけは共通している。どんなに己を責めてみても、また竈の火が起きて来る。そぞろそぞろに起きて来る。

<愚かなり愚かなり>の鞭で百度千度鞭打ちの刑にしたところで音を上げない。街を行き交う若い女性たちが街を行き交う。彼女たちがおのずからに放ついのちの豊かさというものに、性の香りというものに、目が姦淫をする。そのはなやかなおごそかな風景に姦淫をする。それだけのことなのだが。

死者の死が生者の生を讃えたり むすめ等がゐてはなやかにする    薬王華蔵

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女性への執着心は捨てがたいのか。

2020年09月27日 09時05分32秒 | Weblog

(A)

春ふけし銀座の夜(よは)にをとめらの豊けき見つつわれ老いむとす

斎藤茂吉

隠して隠していることなのだが、女性への執着心は捨てがたい。捨てても捨ててもまた拾ってしまう。オス・メスの動物に成り下がってはいけないなどと我をいさめるのだが、効果なし。銀座にも春がきてたけなわとなっている。春のこころが<をとめごら>を豊かにしてふくらませている。それを茂吉は見逃せない。老いているというのに、好奇心が衰えていってくれない。目が若い女性たちを追ってしまう。

高名な大文豪であっても精神科医であっても、それをとどめきれない。茂吉はさすがに短歌というオブラードにやさしく美しく包んではいるが、そもそもの女性への執着は消えていかない。消えていかないどころか燃え盛る。扱いかねるのだ、それが。老いてますます命への執着心が榾火となる。

 

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すっきりするだろう、そうすれば。

2020年09月27日 08時17分15秒 | Weblog

10

(これは9からの続き)

くす。くすくす。

おかしことが見つかったんだ、ともかく。笑い飛ばしたくなったんだ。いいこといいこと。それはいいこと。笑い飛ばしたくなったら笑い飛ばしてしまえばいいのだ。

すっきりするだろう、そうすれば。

くすくす。くすくすくす。

教室の片隅で女学生たちが笑いをこらえきれなくなっている。まもなく物理学の授業が始まるというのに。

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くすくす。くす。忍び笑いが零れ出る。我慢ができなくなる。

2020年09月27日 08時04分49秒 | Weblog

くすくす。くすくすくす。

忍び笑いがこぼれる。我慢ができなくなって、くすくすが風になってこぼれる。

笑いが零れ出て来るということは? まだいくらでもあるということか。

くすくすくすくすが、体内に百も千も万もある。そういう人に出遭ったら、こちらも<もらいくすくす>になるかもしれない。

で、なんだかわからないけど、両者にくすくす、くすくすが飛び交ってしまうのかもしれない。

くすくすは百薬の長。

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重そうにしていなくては気が済まないだろうけど。

2020年09月27日 08時02分18秒 | Weblog

(7からの続き)

短歌はもうすこし重たいはずなのだが、この歌はこんなに軽い。

軽くなったら雲にもなって空に浮かんでいられそう。軽くていいのだ。何事も何事も軽々としていていい。軽々としているところには、余裕がある。愉快が忍び寄れる。

「おれは四六時中、重そうにしていなくては気が済まないのだ」などといかめしくしている御仁様もおられようが、ま、ときにはその重たい気を抜いてみたらどうだろう。ガス抜きにはなると思うが。

重そうにしていなくては気が済まぬ かかる御仁もおいでなのだが     薬王華蔵

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鼻歌が聞こえる。「ああそれなのにそれなのにねえ」の。

2020年09月27日 07時43分43秒 | Weblog

鼠の巣片付けながらいふこゑは「ああそれなのにそれなのにねえ」 

斉藤茂吉の短歌。昭和12年の作。

「ああそれなのにそれなのにねえ」はその当時の流行歌の文句。鼠の巣を片付けている人が鼻歌交じりで歌っているのだろう。鼠の巣は天井裏に巣くっているだろうから、電気工事を頼んだのだろうか。工事に来てくれた人が、鼻歌にして歌っているのを、茂吉が聞きつけたのか。すばやくそれを57577にまとめてしまった。

流行歌というやつはいつのまにか人の中の屋根裏に忍び込んできて、鼠の巣を作っている。

 

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こんな楽しみが残されていたんだと老爺は思う。

2020年09月27日 07時34分25秒 | Weblog

畑に出ているのが楽しい。どうしてなんだろう。どうしてこうも楽しいんだろう。やっていることは土いじりだ。きままにしている。ゆっくりゆったりして手を動かしている。強制されているわけではないので、休みたくなれば休む。雲を眺める。

堅くなっている畑の土を掘り返す。耕して空気を入れてやる。施肥をする。混ぜ合わせて土を柔らかにする。ここに秋野菜を植え付ける。風呂場の丸椅子に腰を下ろして、右手に農具を握って、こそこそこそこそしている。遊んでいる。時間が矢のように飛んで行って、ついにいなくなる。

こんな楽しみが残されていたんだと思う。老爺が畑に来て愉快を覚えている。

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殿様をしていて悪いなと思う。ちょっとだけだけど。

2020年09月27日 07時27分46秒 | Weblog

夜明けの空気がひんやりしていたので、長袖の上に冬のジャンパーを着込んだ。押し入れから探し出して来て。落ち着いた。もうこんなに季節が動いてきていたのか。

現在7時半。お腹が空いてグウと鳴る。「生きているんだな、おれさま」と思う。日曜の日の家内も起きて来た。台所がなにやら音を響かせている。もうすぐ「ごはんですよ」の声がかかりそうだ。

殿様をしている。悪いなと思う。ちょっとだけだけど。

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