醉芙蓉の花を見つけた。写真に撮った。
でも、うまく撮れなかった。
盛りのときは過ぎているようだ。
花を見ると嬉しい。
醉芙蓉の花を見つけた。写真に撮った。
でも、うまく撮れなかった。
盛りのときは過ぎているようだ。
花を見ると嬉しい。
1
もうあとしばらくでいい。いいようだ。
長く人間をして来た。
2
で、何を得たんだろう? この長生き人間は、じゃ、何を我が身に収め得たんだろう?
3
何もない?
そんなこたあないよね。
4
いや、得てなんかいなくていいんだよね。
得ていたとしても、そんなもんろくでもないガラクタだろうからね。
5
我が身に得なくてもいいもの。そんな小さいものじゃなくて、大きいもの。普遍的なもの。それを見つけたらよかったんだ。
6
などと思い直してほっとする。
7
形見とて何か残さむ 春は花 山ホトホギス 秋のもみじ葉 良寛禅師
8
執着は要らなかった。形見なんて思うことも無用だった。後に引きずらない。これでいい。
9
長く人間をして生きた。もうあとしばらくでいい。
評価なんかするな。するなよ。生きたことをあれこれの評価の篩いにかけてはならない。無評価でいい。全解放のすっきり感を穢してはならない。
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秋の虫が鳴いている。あれは鈴虫だろうか。庭にはまだ夏草が生い茂っている。
1
死んでしまうんだものね。喜びだって終わりが来る。苦しみ悲しみだって、終わりが来る。
2
後は、すっきりするんだろうね。すっきり感っていうのが極楽往生観なんだろうかね。
3
すっきり感を体験するのは? いつだろうね。誰なんだろうね。
4
死後で、死んだ人がこの体験ができるはず。だったら、それはまだわたしか?
5
死んでも、「わたし」と言えるのだろうか?
6
死なない前だったら、わたしがはっきりそこに存在している。はっきりしているときに、すっきり感を体感した方がいいよね。
でもこれは難しそう。
7
諦めのことを諦観ともいう。身を任せたときに起こる感覚、すっきり感だろうか。
8
「焼くなり煮るなりどうにでもしてください」と身を投げ出したら、そこで味わえる感覚なんだろうか。
9
「わたしはここでともかくも終わります」「今生のわたしを終わりにいたします。有り難うございました」と感謝を添えたら、ふっとそこで肩の荷が下りる。
10
「諦観」は、辞書には「明らかに見ること」とある。仏教語。真理を明らかに見ることらしい。すべての人に差別なく配布されるものなんだろうかね、仏様の側から人間の側に。
だといいね。
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配布されるんだったら、受領すればいいんだから。これは簡単。
12
拒否する人もいるんだろうね、なかには。ずっと我が荷物を肩に担いでいたいっていう人は、いるよね。愛着があって離せない、と。でも、肩がこるだろうね、重たくて。
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なにやかにや言っているけど、言えるときまでだよ。口も手も頭もなくなったら、何も言えなくなるからね。
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僕は、「それはそれでいい」と思う。ストップが来ていいと思う。楽になりたい。怠け者だから、荷物になっているものはすぐに手放してしまいそう。
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今日は9月11日。金曜日。夜明け方に雨の音が高かった。今は止んでいるが、曇り空。昼からまた降るらしい。
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雨が降る前にと思って、発芽した白菜の芽に殺虫剤を散布してきた。生きているから、まだできた。