2014年の青ヶ島旅行は7月の終わり頃。すべて書き終えるまで10ケ月。今まで長すぎる旅行記かも知れません。
中学のときの社会地図帳で米粒のように浮かぶ、小さな「青ヶ島」を発見。伊豆諸島の最果てなので、とんでもない秘境なのかも知れない・・・などなど思い巡らし、やっと初めて上陸できたのは1999(平成11)年。今のような新堤が出来ていない頃なので、還住丸の発着は旧堤。三宝港から見上げるそびえ立つような断崖絶壁にカルチャーショック。宿のおばちゃまに「○○さん?」「はい、よろしくお願いします」とペコリ。軽トラックで宿まで。その間に初めて見る風景が衝撃すぎる。中学のときに思い巡らしていたとおり、とんでもない秘境だ!!1999年は今みたいにインターネットが普及していない頃なので、青ヶ島を調べようと思っても、なかなかヒットしない。
初対面だというのに、すごーく気さくな宿のおばちゃまなので、あっという間に打ち解けてしまいました。「あのー、すいません。クルマお借りしてよろしいんですか?」(クルマを使いたいという身振り)大きく口を開けて「どこに行くの?」「サウナまでです」(お風呂の身振り)「いいですか、ここからサウナまでの往復ですよ!あんまり変なところへは行かないように!!」などなど手話に近い身振りを交えてのコミュニケーション。私みたいなろう者は初めてだと思うのに、コミュニケーション能力はすごく高かったでした。まるで昨日のように思い出される光景ですが・・・宿のおばちゃまは残念ながら去年(2014)年7月、高齢によりお亡くなりになりました。元村長さんのお母様です。(元村長さんはテレビに何度も出演しているので、サウナのゲン兄さんと同じく有名人)
平成11年といえば、何年前でしたっけ??16年前。あの頃は、ものすごく若者に負けないほどのピンピン、元気に動き回っていましたのに・・・。
今回お世話になった、為朝荘は、生まれも育ちも純粋な青ヶ島人、ぱっと見ただけでハリセンボンの春菜さんを彷彿させるほどの若い女将さんです。彼女もかなり気さくなお方なので、すぐフレンドリーになれました。かつては村役場の総務課職員だったときもあり、観光案内の質問をした際に、いろいろと丁寧に細かく教えてくださいました。青ヶ島人は、ピュアな心の持ち主が多いです。
青ヶ島のことを知り尽くしているくせに、広ーくて大きな八丈島は知り合いなんて1人もいません。青ヶ島は面積も小さく、人が暮らしているところは北部の岡部地区(厳密に言うと西郷と校歌で唄われている行政の中心地、中原と東側の休戸郷)のみ。小さなコミュニティから生まれる大きな地域力、団結力につながっているせいもあるかも知れません。本土だと、そのような繋がりを持つのはなかなか難しいです。
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ここは八丈八景のひとつ、大坂トンネル付近の風景。断崖絶壁に浮かぶ空中道路。相当な難工事だったに違いない。
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ここから見える風景。八丈富士と、八丈小島。
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この島も、憧れです。昔、「ふるさとはヤギの島に 八丈小島へ帰りたい」漆原智良著、1998(平成10)年12月25日刊行、出版社:あかね書房 ¥1300円 子供向けの児童書なんだけど、八丈小島の歴史について詳しく書かれてあり、大人でも興味深く読められると思います。この本で八丈小島の存在を知り、人が暮らしていた痕跡を見つけたい!!と何度かチャーター漁船を出してくれる漁業組合と交渉したことはありますが、波が出ていて渡れないとか、多くの釣り人がリクエストすれば船は出すけど、あんまりない日は出せないとか・・・。現在も、なかなか行けずです。
1969(昭和44)年。電気や水道、ガスなどの文明の利器についていけず、国や東京都があんな離れ小島にインフラを設備する必要はない。そこにいる全島民は八丈本土へ移住すべきだと強制退居させられた島です。祖先が築いてくれた、ふるさとです。島に住宅を持つ小島の住民は離れ難い心境だったに違いない。かつては宇津木村、鳥打村がありましたが、現在は八丈町に属しており、無人島。
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八丈島の玄関口、底土港への南国ムードが漂う道路。まもなく、「あおがしま丸」が入港する時刻。定刻通りに入港できていれば、青ヶ島で仲良くなれたクサヤーマンをお迎えし、一緒に空港まで帰ろうと思っていました。ところが、この日は15~20分の遅延入港。
レンタカーの返却手続きのこともあるので、入港を待たずレンタカーショップへ・・・。
中学のときの社会地図帳で米粒のように浮かぶ、小さな「青ヶ島」を発見。伊豆諸島の最果てなので、とんでもない秘境なのかも知れない・・・などなど思い巡らし、やっと初めて上陸できたのは1999(平成11)年。今のような新堤が出来ていない頃なので、還住丸の発着は旧堤。三宝港から見上げるそびえ立つような断崖絶壁にカルチャーショック。宿のおばちゃまに「○○さん?」「はい、よろしくお願いします」とペコリ。軽トラックで宿まで。その間に初めて見る風景が衝撃すぎる。中学のときに思い巡らしていたとおり、とんでもない秘境だ!!1999年は今みたいにインターネットが普及していない頃なので、青ヶ島を調べようと思っても、なかなかヒットしない。
初対面だというのに、すごーく気さくな宿のおばちゃまなので、あっという間に打ち解けてしまいました。「あのー、すいません。クルマお借りしてよろしいんですか?」(クルマを使いたいという身振り)大きく口を開けて「どこに行くの?」「サウナまでです」(お風呂の身振り)「いいですか、ここからサウナまでの往復ですよ!あんまり変なところへは行かないように!!」などなど手話に近い身振りを交えてのコミュニケーション。私みたいなろう者は初めてだと思うのに、コミュニケーション能力はすごく高かったでした。まるで昨日のように思い出される光景ですが・・・宿のおばちゃまは残念ながら去年(2014)年7月、高齢によりお亡くなりになりました。元村長さんのお母様です。(元村長さんはテレビに何度も出演しているので、サウナのゲン兄さんと同じく有名人)
平成11年といえば、何年前でしたっけ??16年前。あの頃は、ものすごく若者に負けないほどのピンピン、元気に動き回っていましたのに・・・。
今回お世話になった、為朝荘は、生まれも育ちも純粋な青ヶ島人、ぱっと見ただけでハリセンボンの春菜さんを彷彿させるほどの若い女将さんです。彼女もかなり気さくなお方なので、すぐフレンドリーになれました。かつては村役場の総務課職員だったときもあり、観光案内の質問をした際に、いろいろと丁寧に細かく教えてくださいました。青ヶ島人は、ピュアな心の持ち主が多いです。
青ヶ島のことを知り尽くしているくせに、広ーくて大きな八丈島は知り合いなんて1人もいません。青ヶ島は面積も小さく、人が暮らしているところは北部の岡部地区(厳密に言うと西郷と校歌で唄われている行政の中心地、中原と東側の休戸郷)のみ。小さなコミュニティから生まれる大きな地域力、団結力につながっているせいもあるかも知れません。本土だと、そのような繋がりを持つのはなかなか難しいです。
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ここは八丈八景のひとつ、大坂トンネル付近の風景。断崖絶壁に浮かぶ空中道路。相当な難工事だったに違いない。
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ここから見える風景。八丈富士と、八丈小島。
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この島も、憧れです。昔、「ふるさとはヤギの島に 八丈小島へ帰りたい」漆原智良著、1998(平成10)年12月25日刊行、出版社:あかね書房 ¥1300円 子供向けの児童書なんだけど、八丈小島の歴史について詳しく書かれてあり、大人でも興味深く読められると思います。この本で八丈小島の存在を知り、人が暮らしていた痕跡を見つけたい!!と何度かチャーター漁船を出してくれる漁業組合と交渉したことはありますが、波が出ていて渡れないとか、多くの釣り人がリクエストすれば船は出すけど、あんまりない日は出せないとか・・・。現在も、なかなか行けずです。
1969(昭和44)年。電気や水道、ガスなどの文明の利器についていけず、国や東京都があんな離れ小島にインフラを設備する必要はない。そこにいる全島民は八丈本土へ移住すべきだと強制退居させられた島です。祖先が築いてくれた、ふるさとです。島に住宅を持つ小島の住民は離れ難い心境だったに違いない。かつては宇津木村、鳥打村がありましたが、現在は八丈町に属しており、無人島。
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八丈島の玄関口、底土港への南国ムードが漂う道路。まもなく、「あおがしま丸」が入港する時刻。定刻通りに入港できていれば、青ヶ島で仲良くなれたクサヤーマンをお迎えし、一緒に空港まで帰ろうと思っていました。ところが、この日は15~20分の遅延入港。
レンタカーの返却手続きのこともあるので、入港を待たずレンタカーショップへ・・・。