
1992(平成4)年、故郷の長門二見駅。上のホームに停まっている車両は、石川県の七尾線から山口県の山陰本線に転属したキハ28+キハ58。1991(平成3)年に七尾線が電化されたため、過剰になったディーゼル車両を廣島支社に配当。
黄色だらけの廣島支社に違う色をまとった車両なので、ものすごく斬新だった記憶があります。
1925(大正14)年開業時からそのままの木造駅舎ですが、1999(平成11)年に無人駅の簡素な駅舎に建て替えられました。有人駅だった頃は、7人、8人も國鐵職員が始発の朝3時から最終の23時まで切符売場の窓口や改札口も駐在。昔は利用者がわんさかいましたのに、現在はかなり減少。本数も減らされ、人口もすごく減っています。

キハ28 2113。履歴を確認してみると、國鐵時代、ディーゼル王國だった千葉へ昭和37(1962)年、新車で配置。その後、昭和50年に名古屋へ、昭和61年に七尾へ転属。JR西日本発足後、転属先は自社管内に限るようになり、平成3(1991)年に廣島へ、新天地での活躍はやはり短命。平成9(1997)年に廃車となっております。

これも故郷の湯玉駅。平成4年。あれから23年経ちますが、街並みは全然変わり映えはありません。相変わらず田舎のままだというのに、駅前の国道191号線に2014(平成26)年に24時間営業のファミリーマートオープンっ!深夜2時や3時に買い物客が現れてくるような立地じゃないと思いますけど・・・。
富山県の氷見(ひみ)線からやってきたキハ23 10です。色を見ただけでどこから来たのか、インターネットのない時代なのに、どうやって調べたんでしょうかねぇ??本屋でいろいろ調べてきたかも・・・。キハ23 9とか、山陰本線では滅多に見かけない色がやってきて、いつもと違う車両に子ども心ながらワクワクしていたような記憶が・・・。

これも國鐵色丸出しのキハ45 57。履歴は1967(昭和42)年に新車で北海道の旭川配備。その後、新潟へ。1986(昭和61)年に廣島。国鉄時代は、日本国有鉄道なので、北海道で不要になったものは九州などへ配置替えはできましたが、現在の配置替えは自社のみ流用。JR他社に車両を譲ることはできなくなったようです。
これらの車両は、石川県や新潟県とかせっかく遠いところから譲りいれたものだというのに残念ながら2000(平成12)年頃、すべて老朽化を理由に廃車に追いやられてしまいました。ディーゼルエンジンはまだ壊れていないのに、もったいないこと。今や骨董品に相応する車両なんです。
富山の氷見線や城端線は、現在も山陰本線と同じくキハ40やキハ47が活躍。しかも、首都圏色(朱色)に戻しています。
撮りっぱなしで20年以上もアルバムに放置した写真なんですが、今回の富山や金沢旅行で記憶の奥にしまっておいたものが這い出て来ましたので、アップしました。