11月4日土曜日。本日も、あおがしま丸は通常通り就航します。10月の終わり頃から順調に船が動いています。日本一絶海の孤島に予定通りに旅行ができそうです。
山陰本線の長門市から小串間は、2023(令和5)年6月30日、線状降水帯による豪雨災害があり、現在も再開の見通しが立っていません。山口県の村岡知事は10月26日、JR西日本の広島支社を訪れて、不通になっている美祢線および山陰本線の速やかな復旧を求めました。
列車が来なくなって4ヶ月近く・・・。今の状況確認。
1914(大正3)年、下関から小串間の路線は私鉄の長州鉄道が敷設。のちになって、鉄道省が全国の私鉄を買収し、国有化。小串から先は国鉄の前身、鉄道省が海岸沿いに敷設する予定であったが、当時の滝部村が鉄道勧誘。線路が長門二見で「く」のように曲がり、滝部へ。滝部で再び海岸に向かうように線路を敷設し、特牛。
列車が来ない代わりに、鉄道代行バスの時刻表に変わっていました。
今度はホームに上がってみます。
長門二見駅開業は1925(大正14)年開業した頃は、蒸気機関車が牽引する客車は8両や10両も連なっているため、ホームの端から端まで10両分くらいの長さです。当時の鉄道省は人口が減り続け、1両や2両のワンマン運転になるのはまったく想定していなかったのであろう。
4ヶ月も汽車が来ないので、レールもかなり錆びてしまいました。
タラコ色のキハ40やキハ47の姿を見せるのはいつになるのやら・・・。このあたりの住民は時刻表を頭の中にインプットしており、汽車の音や汽笛を時刻を知る目安となっているようです。今は、その音がしなくなったので、生活の一部が失われている感じです。