JR東日本のニュースプレスを見たところ・・・・最後の最後まで国鉄王国だった、千葉に相次いで新型が導入される。 来年の2010年夏以降、京葉線も新型に統一するとのこと、京葉線から乗り入れるボロ房線(内房・外房)もその電車が入るみたいです。
東京都の最果て地、山岳路線を走行する青梅線(奥多摩~立川)も最新鋭のハイテク電車。
山奥の秘境路線だというのに、うちの地元のボロ房線にもよこせよな~と思っていたことがいよいよ現実に・・・・。
・JR東日本ニュースプレス (2009年9月2日発表)
国鉄時代から変わらぬの風景が続いていたというのに、そろそろ見納めになりそうです。
もっとすごいのはPASMO(首都圏民鉄のIC乗車券)加盟を拒否し、昔ながらの硬券(厚紙の固い切符)に改札鋏も健在、昭和30年代で時間が止まったままの「小湊鐵道」。
(小湊バスはPASMO導入予定だが、鉄道は予定なし) 車両も昭和40~50年代、わが故郷の山陰本線で活躍していた古くてボロディーゼルカー(キハ20)と同型。鉄道の世界遺産として、いつまでも残して欲しい。
近所のジョンホ先生が大きなスズキを1匹釣れ、まるごと戴きました。
ハン尚宮(母)が「オモモモモ~!!」と目を丸くしながら、狂喜の舞い。
(「オモモ」は韓国の女性が使う驚きの感嘆詞)
細長くおろしたあと、氷水に浸かると、ピチピチと引き締まった身になります。
本当にごちそうさまでした~!!
ハン尚宮が故郷の下関が恋しくて、「ふく」を取り寄せた、とのこと。
(本場下関では「福」にあやかり、「フク」と言います)
7切れでお値段は・・・な、な、なんと!??? サムマノン!!ですよ!!
(解読のヒント 韓国の大手電機メーカー 「サムスン (??)」samsung を漢字に変換すると「三星」。万の読みは日韓同じく「マン」。最後のノンは通貨単位の「ウォン」)
わずか10分以内で、サムマノンを平らげてしまいました。
年に1度の贅沢かな・・・。
本場下関に帰れば、「ふく」なんぼでも食べられるのに・・・。
今年の3月、千葉県の館山港~伊豆大島間の高速船セブンアイランド号が期間限定の臨時就航中、ふらりと大島に出かけました。
千葉県の館山から大島までわずか45分ですよ。45分。
毎日就航できていれば、日帰りで離島の温泉や新鮮な魚とか楽しめるのですが、毎年1月中旬から4月上旬の「椿」シーズンしか利用できません。 そのときに購入したお土産は伊豆大島産の「ハーブンルト」。
パスタにかけると、不思議なことに美味しさ倍増になります。
旬でもないのに、スーパーの魚介類コーナーで大きな「あさり」を見つけたので、あさりのガーリックパスタ。
粉チーズたっぷりかけて、大島の「ハーブンルト」を少々かけると、味が際立つようになります。 残り少なくなったため、楽天市場で多量購入。
塩コショウの「ペッパーンルト」も次いでに。
青ヶ島の「ひんぎゃの塩」の一筋ですが、こちらはパスタや八宝菜、シチューなどに向いています。 こちらも「ひんぎゃ」の塩と同じく、東京都ふるさと認証食品として登録されています。
都心ではどんなものがふるさと認証されているか、気になります。
(注:伊豆大島の市外局番は「03」ではなく、「04992」)
沖縄の新聞といえば、「沖縄タイムス」と「琉球新報」の2紙。
朝日、読売、毎日などは本土から空輸するため、配達されるのは午後以降だったり、地元の話題中心になる紙面も内地版なので、沖縄に関するものは全然載っていない。
(日経新聞だけは本土の紙面データを受信し、現地で印刷)
ホテルのロビーに本土紙が置かれてあったりするので、仕事や勉強のために読む人もいるそうです。
うろ覚えですが、地域情報は「東京」なので、もしかしたら羽田から朝一で運ばれているかも。(これはあくまでも私の憶測)
朝から読めるのは、やはり地元紙。
ある一面を見て、ビックリしてしまうのは訃報とお墓に関する広告。
ひとつの訃報スペースが大企業の社長、または著名人なのか?と思わせるほど、故人から喪主、親戚一同、友人まで大勢の名前がずらりと並んでいるのが特徴的。
内地だと個人情報保護の概念により、そのような広告がないのは当然なことですが、沖縄の人はお盆や清明(シーミー)、旧正月の行事に一族総出でどんちゃん騒ぎをするのが大好き。
お墓も一軒家のような「破風墓(はふうばか)」・・・特徴は屋根の部分は生命発祥の地に戻ることを意味する妊婦のおなかの形になっている。
集結する大勢の親戚を収容すべく、墓前に大きなスペースがあるのは沖縄ではスタンダードだそうです。
沖縄戦争時の隠れ家として、広いスペースを確保できるお墓の中で過ごされたケースもありました。
訃報を新聞で丹念にチェックし、知り合いを見つけたら集結することになります。
本土では信じられないことだけど、沖縄では当たり前になっているようです。
名護市の海中公園から一転し、深い森にやってきました。
1日目の国頭(くにがみ)村に戻っています。
2日続けて遠距離の同じ方向になぞ行かなくて済むように、「奥集落」の次は「やんばる学びの森」にする予定でしたが、毎週月曜定休。
3日目の火曜日に組み込んでしまいました。
ブナセ海中公園を出発するときに「これから向かうところは遠いです」とあらかじめ告げておいたので、またどこか変な場所に連れて行かれるなと察していたらしい。
「やんばる学びの森」は本島北部の東側なので、国道331号線に左折し、東村へ。
秋だというのに、緑濃いやんばるの山々が迫り、県道70号線に右折すると右手は海。
すれ違う車もだんだん少なくなり、沖縄伝統住宅もまばらになる。
日本一超ミニ自治体の青ヶ島村、小笠原村でも通じるはずの携帯電話も「圏外」の表示が・・・・。
ハン尚宮(母)いわく「こんな秘境で昼食なんて、大丈夫なのかい?」と不安になったらしい。
でも、事前にリサーチしたところ、昼食の心配はしなくてよいことになっている。 やんばる学びの森はあまり目立たない場所にあるため、カーナビより看板の表示に従い、たどり着きました。
スタッフは20代の若い人ばかりでした。
こんな秘境だというのに、よほど自然が大好きな方でしょう。
カフェのメニューを見たところ、「野菜たっぷりカレー」の1品しかありません。
とても美味しくて平らげてしまいました。
真ん中の緑色は「シカクマメ」。
初めて見たのは今年の夏、父島のユースホステルで出された夕食。
ヘルパーさんが料理の説明をするときに「これは何だかわかります?」と聞かれました。
とっさに「オオタニワタリ」と答えてしまいました。
見た目はオオタニワタリ(青ヶ島でよく見かけます)に似ていますが、全く別のもの。
「似て非なるものですが、シカクマメ」と教えてくれました。
調べてみると、熱帯アジア原産のマメ科植物。国内では小笠原や沖縄でよく栽培されているそうです。 美味しいカレーをほおばりながらスタッフに聞いてみた。
スローテンポに配慮し、「散策コースは急こう配や段差はありませんか?」
「あんまりないですね。460mコースでしたら、1時間くらい」
まさしく、子供からお年寄りまで楽しめる「森」でした。
散策コース入口の右手に映画「ゲゲゲの鬼太郎」のセットで使われたハウスが建っています。 ハウスの内部。
窓ガラスもありませんでした。
鬼太郎さんって、マンガの世界だけかと思ったら、忠実に再現したものだそうです。
こういう家で暮らしていたのですね。
1泊してみたいですけど、宿泊施設ではありませんでした。 森に一歩、踏み入れると・・・・
母島(小笠原村)の南崎遊歩道の香りがしました。
空気も、南崎遊歩道に似ていました。
懐かしい「におい」でした。
こういう「におい」を嗅いでいると、小笠原に帰りたくなってしまいます。 マイナスイオンたっぷりの橋。
わずか460mとはいえ、1周するのに1時間近くかかりました。
ハイキングが好きな方は460mコースではなく、2キロコースをお勧めします。
ここは名護市の「ブセナ海中公園」です。
「ホテルみゆきビーチ」からはそんなに離れていなくて、国道58号線沿いにありました。
海に入ってダイビングやシュノーケルに向いていますが、海に入らなければグラス底ボートで海中散策という方法もあります。
あの船に乗って海中散策。 船底は透明のガラスになっていました。
上から海中の様子を楽しめるようになっています。
ドックおじさん(父)は山口の日本海で長年も素潜りをしていたので、この程度の海なら潜れるはずですが・・・・ハン尚宮(母)のスローテンポに合わせたプランニングなので、シュノーケルはパス。
小笠原と沖縄、どちらも似たような風景でしたが、小笠原の兄島瀬戸海中公園のほうが透明度が抜群でした。
名護市は比較的都会だというのに、海はご覧のとおり美しい。
ブセナ海中公園はおよそ1時間あれば楽しめそうです。
1日目は「奥」、2日目は部屋からは美しいビーチが見える「みゆきビーチ」。
ホテル内でもレストランはあるのですが、ホンモノの琉球島料理を味わうのなら「田芋」がお勧めだとネットの口コミで見つけ、予約してみました。 9月28日 17:45頃。
東京では17時頃になると暗くなり始めるというのに、沖縄はまだ明るい。
時差は1時間くらいかな。
小学生頃、0系「ひかり」号で上京、当時は小倉から東京までおよそ6時間。
小倉を朝9時に出発、東京は15時到着。冬だったので、太陽が西に傾きすぎる、暗くなる時間が早すぎると思ったことも。
逆に沖縄に行くと、こんな時間になってもまだ明るいのはいいな~と思ってしまいますね。
沖縄名産の「もずく」。
お店によって、「もすぐ」の味が異なります。
ここの味付けはとても美味しい。
メニューを見ると、田芋はコラーゲンたっぷりの久米島産鶏「水炊き」がお勧めのようなので、注文してみました。 ドックおじさん(父)は鶏が苦手なので、それに代わるものはないかな~とメニュー表とにらめっこすると、店員さんが気をきかせてくれました。
「鶏が苦手なので、代わりになるものはないかな?」
「魚は召し上がれますか?」
本日収穫した魚をサンプルとして奥から持ってきてくれました。
氷の詰めたポールの上にいろんなカラフルの魚たち。
ドックおじさん、「青い魚!?」と初めてみる魚に怖気がしたらしい。
魚の目玉は鮮度抜群だし、せっかくオキナワに来ていることだし、食べてみる価値あり!と注文。
とても美味しかったと、ご満悦。 田芋盛り合わせ。
口頭で説明する代わりにメモに書いてくれました。
沖縄らしくシンプルな味付け。
「鶏刺」。
鶏を生で頂くのは初めて。
鶏の水炊き。
スープも味付けされているので、まず、何もつけずに食べてみて、好みにより少々の薬味を加えることもできます。
鶏の中に朝鮮人参やナツメ、もち米が入っていれば、まるで滋養たっぷりのサムゲタン(韓国料理)になってしまいそう。
スープが決め手のようなので、美味しい。
メニューに書かれてあった、水炊きの食べ方。
鶏肉を少し残して、最後に野菜と島豆腐をたっぷりかけて・・・・
雑炊にすることもできます。
唐揚げも美味しかった~。
ごはんが進みます。
満腹になり、帰ろうとしたら・・・
「デザート」が出ました。
今度はサービスとしてドラゴンフルーツ。
とてもお腹がいっぱいになり、ドラゴンフルーツは持ち帰り。
接客も抜群、とても楽しい夕食のひとときでした。 琉球島料理と水炊き 沖縄居酒屋 田芋
〒904-0415 国頭郡恩納村仲泊2081-1
TEL 098-964-6444
12:00~23:00(年中無休)
全席禁煙/恩納村内各ホテルまで無料送迎サービスあり
ネットの記事では16時00分千葉発君津行きは新型になっている・・・(といっても、京浜東北線のおさがり)。
初乗車を果たせるかな・・・とワクワクしていたのに、やってきたのはこの電車でした。
次の16時06分発安房鴨川行きは3年前にやってきた211系。
この次は16時17分発君津行きも新型のはず、電光案内では「4ドア」とは表示されないので、多分ボロかも。
26分発君津行きは快速、34分発上総湊行きは新型の予定。
34分も待っても裏切られそうなので、今回は仕方がなく、この電車。
今から14、5年くらい前の話になりますが・・・
京浜東北線に新型が入ってきた頃は古いのを何本か見送り、そんなに待たなくても乗れたのですが、そちらは本数が少ないので、待つのが無駄になってしまいます。
当時、京浜東北線のある駅で新型がやってくるのを待っていた車両を今日、来るんじゃないかなと待っていたのは奇妙な気分。 クハ111 1029。
同系列の113よりも、かなり古いです。
平成11年11月11日、1並びを記念し、クハ111 1111 に脚光を浴びたという話を聞いたことありますが、この車両は翌月の平成11年12月、廃車。
1029は1972(昭和47)年製造、今年で37年目になります。
1番古い現役は1965(昭和40)年製造の91、これは山口県の山陽本線で活躍中。
ボロは語弊だけど、素晴らしき「老兵」かな。 4人掛けボックスは111系が開発された1962(昭和37)年当時の体格にあわせて設計されたものなので、少し窮屈です。
のどかなローカル線だったら、4人掛けボックスに1人ずつ座り、駅弁を味わいながら車窓の景色を楽しめそうですが・・・。
今のところ、たくさんありますが、2011(平成23)年までに置き換えられ、房総各線は新型に統一するそうです。
10月11日(日)午後7時からの日本テレビ「ザ!鉄腕!DASH!秋の2時間スペシャルソーラーカー 日本1周ひとぶでがきの旅~青ヶ島~」を非常に心待ちし、予約録画もセッティング。
青ヶ島に魅せられておよそ10年、最近はNHK、フジテレビ、テレビ東京、そして今回の日本テレビも放映されたので、知名度もずいぶん上がってしまったかなと思います。 だん吉の取材は7月中旬でした。
季節外れになってしまいますが、毎年夏になると見られる三宝港の風景。
三宝港の深さはおよそ4~5メートルくらい、子供たちは平気に次々とジャンプしながら海に降りていきました。
内地だと「海は危ないからプールで泳ぎましょう」とか過保護になりがちだけど、青ヶ島は違っていました。大自然を相手にのびのびとしていました。 今度は空中ベンチに連れてもらったみたいですね。
ここは港から集落への近道、旧道の都道236号線だが、ちょっと奥に行くと崖崩れのため、通行止めになっています。
崖崩れの様子は、前回放映されました。
道ごと崩落し、とても危険な状態だというのに、修復作業中だそうです。
空中ベンチからは壮大な眺めになっています。 ほぼ100%青ヶ島で撮影が行われた、「アイランドタイムズ」のひとこま。
「空中ベンチ」の存在を知り、2年前、やっとその場所に訪ねることができました。
出典:映画アイランドタイムズ(フジテレビ)2006年
これでも都道236号線。
この道の上に空中ベンチがあります。
憧れだった(大げさな・・・)、空中ベンチ。
島の青年団が作ったと言われる、最大級のデートスポットらしい。
ここで恋人と語らいをすると、60%の確率でカップル成立すると言い伝えがあるそうです。
テレビで放映されたときとほぼ同じアングル。
(2007年7月28日撮影) 今度は空飛ぶ船の話。
港に係留はせず、高台にある駐車場ならぬ「駐船場」からケーブルで出し入れする風景は全国からみれば非常に珍しい風景だそうです。
出し入れするのに10~15分くらいかかるので、非常に大変な作業になります。
青ヶ島ならでの「泳ぎ釣り」。
沖縄や小笠原で見かけた魚もいました。
名前はカワハギの仲間、ナメモンガラというそうですね。 釣れたての魚を港で刺身にするのは日常茶飯事。
醤油ではなく、島唐辛子も含まれている「島ダレ」をかけていました。
ほんの数分前までは海の中で元気よく泳ぎ回っていた魚。
あまりにも新鮮すぎるなので、美味しいだろうな・・・。
青ヶ島の部分だけ、何度か繰り返し見ているとふらりとまた出かけたくなってしまいます。
初めての青ヶ島は10年前の1999年。
カルチャーショックの連続、好奇心旺盛で一歩間違えればクルマごと崖から転落してしまいそうなとんでもない場所に出かけ、民宿の方に注意されたことなどなど・・・まるで昨日のように思い出されます。(羽目を外さないように気をつけます・・・)
数日前の滞在先はオキナワ。
コテージやホテルは網戸もなかったので、部屋を密閉しなければならず、とても蒸し暑い。
エアコンを微小モードにしていましたが、内地に戻るなり暖房が恋しくなるほど寒くなりました。
それなのに、ピンクとイエローのハイビスカスもこれからも咲き続けますよ、と宣言しているかように小さなつぼみがあちこち出ています。
これを見ると季節感覚が狂ってしまいそう。
9月22日に見つけた、双葉。
何の植物なのか、わからないのでしばらく様子を見ると本葉が出てきました。
その本葉の形、どこかで見たようなと思ったら・・・なんとスイカでした。
スイカの種をこぼしたために、芽が出てきたらしいです。
これから秋だというのに、冬にスイカが収穫できるかもと期待していたら、いつの間にかになくなっていました。
「ここにあった、スイカはどうなった?」と聞くと、
「寒すぎたのか、枯れてしまいました」とのこと。
(秋雨前線の影響で雨ばかり続いていたため、日照不足だったかも)
せっかく種から芽が出たのに、季節が違いすぎました。残念。
今度は今回で2回目になる、美(ちゅ)ら海(うみ)水族館へ。
沖縄県の日本復帰(1972年5月15日)記念事業として、1975(昭和50)年7月20日から1976年1月18日まで開催された、「沖縄国際海洋博覧会」の跡地に国営沖縄記念公園。
公園内に美ら海水族館も併設、高さ8.2メートル、幅22.5メートル、厚さ60センチのアクリルパネル越しは自由に泳ぎ回る魚、しかも大きなジンベエザメやエイなども回遊しているので、まるで浦島太郎に出てくるような竜宮城の中にいるかような気分をさせてくれます。 カフェ・オーシャンブルーの特上席はアクリルパネルに面した場所。
特上席が空くまで待ち、その席を確保できていればセルフサービスで飲み物を購入。
ここにいると、浦島太郎みたいに海の中で飲んだり、食べたりすることもできるような錯覚。
兄島海中公園(小笠原)は天然の公園なので、シュノーケル3点セットが必須ですが、こちらは服を着たままでも全然濡れませんし、水中ゴーグルがなくてもちゃっかり見られます。
このお魚、母島の南崎でも会いましたねぇ・・・。
名前は「ゆうぜん」かな?(間違っていたら、ごめんなさい)
カラフルな魚にうっとり。 カフェ・オーシャンブルーのアクリルパネルに面した席で上を見上げながらのコーヒー。
オキナワに来た甲斐があると思えるほどの、至福のひととき。
(カテゴリー「沖縄」にクリックすると、2年前に来たときの動画が見られます)
最北端の「奥」から少しずつ南下、名護市あたりになると町並みが活気あふれるようになる。
国頭(くにがみ)村、大宜味(おおぎみ)村は「村」にふさわしく、田舎の風景ばかりだったのに、今帰仁村は「村」の割に昔ながらの住宅が多くみられるところでした。
今帰仁の文字を見ただけで「なきじん」と読めた方は、うちなんちゅ(沖縄人)か、沖縄フリークでしょう。
沖縄では内地だと読めないような地名がいっぱい。
たとえば、那覇空港近くの「豊見城」は「とみぐすく」。
中城村も「なかぐすく」。「城」を「ぐすく」と読みます。
「谷」も「たん」と読むらしく、読谷は「よみたん」、北谷「ちゃたん」。
最も読めなかったのは「東風平」と書いて、読みは「こちんだ」。
ローマ字さえなければ、この地名はどう読むだろうかと悩んでしまいそうです。 ここはカーナビでもヒットしなかった、隠れ場所の「森の茶屋・どんぐり」。
カーナビの住所通りに到着したが、あたりは何もないところ。
「はて?ここでしたっけ?」とあたりを見回すと、手作りの看板「どんぐり →」を発見。
看板に誘われるかようにたどり着きました。
おしゃれな山小屋。
エアコンがなくても山のよそ風が入ってくるので、とても爽やか。
彼岸花かな?と思いましたが、違いました。
そもそも沖縄に彼岸花は咲いていなかったっけ?
手作りのカレー。味はパーフェクト。
茶屋だというのに、夕食並みの豪勢なランチ。
カレーは早く出てくるはずだが、このランチとともに出されました。
待たずにみんなで一緒に楽しく召しあがれるようにという、お店の取り計らいでしょうか。
美味しかったでした。ごちそうさま。
森の茶屋 「どんぐり」 国頭郡本部町伊豆味3556-16
TEL 0980-56-5664
台風が頻繁に来るせいか、2階建ての民家があまりないのが沖縄らしい。
那覇市も高くて20階程度のビル、モノレールのホームから見下ろすと、どこかの外国情緒が漂うような雰囲気。
アメリカやアジアなどの外国文化も入り混じっているので「チャンプルー文化」と呼ぶこともあるそうです。
まだ夏のような風景ですが、撮影は9月28日の朝。
ブロック塀にカラフルなペンキを塗ったうえに短歌らしきものが書かれていました。
奥育ち
恵も豊かなうぶすなの
山の清気に育まれ
意気をほこりの
ヤレサノ奥育ち 娘十八 茶の芽頃
茶摘小唄も 高らかに
つめよ 育てよ
ヤレサノ奥育ち
「奥」出身といっても、緑茶の名産だし、郷土に誇りを持てという意味でしょうか。 奥共同売店。
集落の住民たちによって、出資、運営されている店舗です。
創立は1906年(明治39年)。
1954(昭和29)年に道路が整備されるまでは、陸の孤島状態。
そのため、昔は電気の発電施設、精米所、酒造工場、雑貨、食料品、ガソリン、灯油、貯金や貸付を行う金融まで何でもそろう、「よろずや」だったそうです。
共同店の目玉商品は「奥みどり」の緑茶。
種コーナーに行ってみると、沖縄と銘打つ「大根」と「人参」を購入。
沖縄の種を本土で育てられるかどうか、来年検証してみることに。
上から奥集落の様子を見たくて、階段をのぼってみようと思ったのですが、親はこんな秘境に興味を示さなかったみたいなので、断念。 ここは「奥」と同じく国頭(くにがみ)村内の国道58号線沿い、茅打ちバンタ。(バンタとは沖縄言葉で「崖」を意味します)
わざわざ山登りしなくても、駐車場からほんの少しだけ歩くとこんな風光明媚な風景。
展望台からは宜名真(ぎなま)漁港がよく見えます。
まるで母島の沖港を思い出せるような風景。
海面は珊瑚礁が広がっているのが見えます。
さすがに沖縄の海、小笠原と同じような風景でした。 苦労しながら山に登らなくても、この風景はまるで母島の乳房山。
亜熱帯の植物ばかり目立っています。
ここに来ると沖縄から小笠原に一瞬移動させられたような気分をさせてくれます。
沖縄から母島までのアクセスは・・・・
那覇空港~羽田空港 航路 1687.0キロ
羽田空港~浜松町 16.9キロ
竹芝~二見港(父島) 1000キロ
二見港~沖港(母島) 59キロ
合計 2762.9キロ。
朝一の飛行機でも羽田空港に到着するのは10時20分なので、「おがさわら丸」には接続不可。
前日のうちに出発、2日目に乗船、3日目に小笠原。
沖縄県の隣は東京都のはず、同じ国内なのに3日かかるとは・・・。
(※沖縄県北大東島・南大東島のテレビは小笠原中継所を経由するため、首都圏と全く同じ番組。天気予報も関東地方の地図)
沖縄最終日。
ハン尚宮(母)が「今回の旅行は山奥や森ばかりだったけど、戦跡はないよね?」とリクエスト。
えーっ!数年前の沖縄でガイドブックには載っていないような、沖縄戦争最後の野戦病院として使われた「糸洲の壕」(ウッカーガマ)やひめゆりの塔、旧海軍司令部壕跡などをガイドしたことがあるので、今回のプランニングには組み込んでいなかった。
うーんと困り果てていたところ、「これから向かう場所(イオン南風原ショッピングモール)付近にもある」と誰も教えられたわけでもないのに、カーナビで周辺をリサーチすると確かにありました。表示は「旧陸軍病院壕跡」。
沖縄人でもないのに、なんであの場所にもリクエストされたものがあると気付くのは何ででしょうかね・・・?と自分でも首を傾げています。
カーナビのとおりに現場に到着すると、「野戦病院跡」ところが「南風原文化センター」の建物でした。
建物といっても、改築工事中で「11月3日オープン予定」の垂れ幕もついていました。
野戦病院壕内で出土された遺品や、野戦病院の内部を再現したものを展示する予定だそうです。
工事中の作業員に「あの・・・野戦病院跡はここだと訪ねてきましたが、違うようですね?」と聞いてみた。
「どこから来た?オキナワ?」
「本土から来ました」
「そうかい、2つ目の信号で左折すると、南風原小学校と中学校が見える。中学校を通ると、信号のない十字路に突き当る。左折すると、運動公園。運動公園の駐車場に停めれば、「野戦病院壕跡」の看板があると思うので、それに従って下さい」と丁寧にメモに地図まで書いてくださいました。
沖縄の人はお人よしでとても丁寧だと聞いたとおりでした。 看板では「野戦病院壕へは、1塁側の通路伝いでお通りください」と書かれていました。
現在は野球場になっていますが、沖縄戦争中はおそらく平らな場所だったに違いない。 ガイドブックには載っていませんでした。
観光地として行く場所ではないからでしょうか。
入口の受付です。
入場料は300円。
ところが・・・・毎週水曜日は休館日。
残念、中に入ることはできませんでした。
入口に設置されているガイド。
人骨や携行できずに埋められた医薬品などが出土されています。
壕の中でも「手術室」なるものがあり、麻酔なし、やむをえず手足をのこぎりで切ったり・・・当時は想像を絶するほどの野戦病院だったそうです。
出口からの眺め。
この近くに丘のような「黄金森公園」、20号前後の「壕」がいくつかあるそうです。
3年前の「糸洲の壕」も最後の野戦病院でしたが、照明などの設備がなく、奥に進むと真っ暗闇になります。これ以上進むと危険だと判断し、数メートルで引き返してしまいましたが、ここは入口から出口まで照明や歩道も整備されているようです。
沖縄は確かに美しい海に囲まれたリゾート地になっていますが、戦時中は女学生も含む民間人も巻き添えになり、とても悲惨な風景だったこともお忘れなく・・・。
沖縄戦争で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
沖縄の田舎や秘境の話ばかりだと飽きてしまうので、今度は街の話。
マチグワー(国際通りの市場)はほとんど観光客で地元の人はあまり行かないそうだ。
イオン南風原(はえばる)店は観光客でも楽しめるように、古き良きうちなーを再現した不思議空間「ゆいまーる通り」の「沖縄食楽市場」もついている、県下ナンバーワンの大型ショッピングセンター。
最終日はショッピングを組み入れ、沖縄食材を自宅でも「うちなー」気分を味わうのが最大の目的。(笑)
大型書店では「郷土コーナー」が設けられ、沖縄のことを知りたい書物が山ほど積まれています。
本土では見られない風習に興味を持ったので「リアル沖縄人になるための49のルール」などの本を数冊購入。日本十進法では「049」なので、おおまかに分類すると0番台の総記-一般論文集-雑書ということになります。 沖縄産ゴーヤーのシチュー。
今年のゴーヤーは「沖縄産」で締めくくり。
10月になってもゴーヤーは売られているのですが、値段が高くなってしまいました。
かまぼこの中にいろんな食材が詰め込まれていました。
そのまま食べても美味しいですが、フライにしてみると美味しさ倍増。 朝食は「島ちゅ納豆」
小粒の国産大豆を納豆にしたもので、薄味、さっぱりしてとても美味しい。
納豆特有の臭みもなく、あのにおいや粘りが苦手な方でも美味しく食べられる保証はあります。
近所のスーパーで買ったものは味が濃くてお世辞にも美味しいとは言えず。
沖縄の納豆が恋しい。 多量取り寄せるつもりでしたが、賞味期限が短いので、断念。
沖縄は濃い味付けを好まないからでしょうが、納豆でもクセになりそうな味でした。
内地の納豆メーカーさんも沖縄の味を見習って欲しいな・・・。