朝7時。部屋のカーテンを開け、空を見上げた。
雨は降っていないが、すかっと晴れたような空ではなかった。
これから回復し、いつもの夏らしさを取り戻せるように~と願っていたら、見事に少しずつ回復しているのではないか。
宿の朝ごはん。今回は洋食でした。手作りのパンが美味しかったで~す。 10時頃出発!!
青ヶ島郵便局前の通り。
窓口は内地より1時間早めに開く代わりに閉まる時間も早い。
平日 8:00~16:00 土曜日・日曜日も8:00~12:00まで開いています。
郵便局の横に「新東京支店青ヶ島集配所」。
JPの赤い看板はなく、手書きで「青ヶ島集配所」と書かれています。
比較的軽い書状のもの(はがき、手紙、レターパックなど)は朝9時頃までに出せば、9時45分発のヘリコプターに積んでくれます。ヘリコプターに積めない「ゆうパック」は船。
9時前に出したハガキが、翌日の11日に届いたよ~!とメールが入りました。日本一秘境村からだというのに、まるで超速達便。
島の金融機関は「ゆうちょ銀行」しかありません。取扱店番号は01790。
ATMは平日9:00~17:30。土・日曜日・祝日は取り扱っていません。
会場に着きました~。
運よく雨が上がり、70キロ先の八丈島がくっきり見えます。 牛祭りですから、牛さんがいました。
今のように自動車が普及していなかった、昔。
島に牛さんがたくさんいました。
はしけ作業に成功した物資や食料が次々と船着き場に積まれ、それを険しい道を通って、集落まで運搬しなければなりません。
多くの牛さんが運搬に携わり、島民たちの生活に手助けしたのは確か。
毎年8月10日は牛に感謝する「牛祭り」が開催されます。
今年で34回目なので、計算してみると1977(昭和52)年から。
歴史をたどってみると、高津勉先生が青ヶ島に赴任した1950(昭和25年)頃から始まったようだが、しばらくは中断していたようです。
青ヶ島に関する文献を読むのが好きなので、今まで見聞したものをまとめてみました。
もし、間違いがあればお知らせくださいね。 会場の受付で記帳すると、産業タオルがもらえました。
どれも青ヶ島で生産するブランドのものばかりです。
初めて来たときは、「あおちゅう」と「ひんぎゃの塩」の2つしかなかったのに、この10年でいろんなものに増えてきました。 Tシャツをゲット!!
デザインは今年からは青ヶ島にお住まいの方を対象に募集していたので、かわいらしい牛の絵は島内のこども達が描かれた作品です。
これから何十年も着られそうな、しっかりした生地だというのにお祭り特価はもしかしたら、原価じゃないですか!? 後ろのデザイン。
「青ヶ島人」と描かれています。
「どこ?」「宮崎に行くの?」「中国のチンタオ(青島)?」
これは「青ヶ島」と言ったときの友人の反応。
同じ東京都だというのに、青ヶ島はあまり知られていない、忘れ去られた島。
これを着て、青ヶ島をもっと宣伝しなくちゃ・・・(笑)
突然、手話のできる若い人に声をかけられ、び~っくり!!
顔を見ると、確かに昨日のサウナで出会った覚えはあります。
「あ~、昨日、サウナでお会いしましたね。あのときは声をかける勇気がなくて・・・」と流暢な手話。
「えっ!?手話もできるんですか!?」
「あ、ろう学校の先生を経験していますので・・・」
話を伺うと、青ヶ島小中学校の先生でした。
「ろう学校にいたのは、5年前なので、手話も5年ぶり。まさか、青ヶ島で手話を使うのは思わなかった」
「5年のブランクがあっても、大丈夫ですよ。こうやって会話もできるし・・・」
若い人なので、物覚えも非常によく、一度覚えたものは忘れられないかと思います。
小笠原の父島で手話が使える人がいっぱいいるのは知っていましたが、青ヶ島までも!?
司会者のアナウンスを手話で教えてくださったので、楽しめました。
北朝鮮訪問の米国少年、金総書記と会えず (ネットニュースより) 【北京時事】朝鮮半島分断の象徴である板門店に平和の森をつくってほしいと提案する手紙を持って、両親とともに北朝鮮を訪れていた韓国系米国人のジョナサン・リー君(13)が19日、帰途に就いた。
北京空港で取材に応じたジョナサン君は「板門店を視察したが、非武装地帯(DMZ)では大きな悲しみを感じた。南北朝鮮が早く統一することを願っている」と語った。
韓国の聯合ニュースによると、ジョナサン君は北朝鮮で金正日総書記に面会する機会はなかったという。手紙を預かった同国高官は「アイデアには賛成するが、米国がまず休戦協定を平和条約に変えるべきだ。そうなれば、DMZを平和の森に変える意向もある」と話したという。
(ここまで)
韓国に訪ねると、おのずと北へ。韓国から北朝鮮が見えるスポットに何度か訪ねてしまいました。
同じ陸続きの朝鮮半島だというのに、38度線で分断されてしまい、自由に往来できない状態が続いています。
そもそも、大日本帝国が朝鮮半島を占領していたのが原因だったらしいです。戦争に負けた日本が朝鮮半島を手放したとたん、南側のアメリカ軍、北側のソ連軍が対立し、朝鮮戦争勃発。
北朝鮮も韓国も同じ言語を話す、同じ民族のはずです。
一刻も早く南北統一を願い、金正日総書記に面会したいという米国少年の行動に心に敬意を表します。結局会えずに残念でしたが、DMZを平和の森に変える意向もあるとのこと、よかったですね~。
私だったら、金正日総書記に会いたいと直談判するのは無理なはず・・・。
3年前に来たときはなかった、インフォメーション(観光案内)。
「おじゃりやれ!(島言葉で「ようこそ」を意味します)
358km南の東京 青ヶ島
太平洋にぽつりと浮かぶ青ヶ島。
ここは、東京から358km南の伊豆諸島最南端です。
周囲9kmのこの小さな島は、「男島」や「鬼ヶ島」の伝説を産んできました。
たおやかに流れる島時間。波の音や草木のざわめき。時に猛威を振るう風や土。
パワーいっぱいの自然の中には、心もカラダも癒してくれるスポットがいたる所にあります。
たとえ一泊や二泊の短い日程でも、ここでしか見つけられない時間を味わってみませんか?」と書かれています。
青ヶ島に興味のある方々に対してのメッセージなので、書き写してしまいました。
青ヶ島に思い馳せる理由はそこにありました。
心もカラダも癒してくれるスポットがたくさんあります。 国際化に対応し、日本語だけではなく、英語、中国語、韓国語も併記。
青ヶ島に来て、ハングル文字が見られるのは思いもしませんでした。
????(トドボノ)都道番号 236
???(ファジャンシル) トイレ
???(デピソ) 広域避難所(直訳すると、待避所)
???(パチュルソ) 派出所
??? (ウチェグク) 郵便局
最近ハングルに触れる機会が減ってしまい、忘れてしまいそうなので、入力トレーニング中。(笑)
インフォメーションの裏面は
「東京都青ヶ島村無番地」。
村全地域が無番地とは、全国どこを探しても、青ヶ島村しかないと思います。島民全員が顔見知り、家族当然なので、郵便物にフルネームで書かれていれば、間違いなく配達されます。
青ヶ島から情報を発信し続けている有名なブログのハンドルネームだけでも配達可能でした。 青ヶ島に着いた日の晩御飯。
カツオの刺身が出ました。
醤油にわさびではなく、青ヶ島の島だれにつけていただきました。
今はカツオが旬らしく、鮮度抜群。
島野菜の天ぷら、鶏の唐揚げ。
まるで青ヶ島に居ながらにして街のレストランのような雰囲気。
食後のデザート、手作りのチーズケーキ。
アジサイ荘の若い女将さんは青ヶ島にないものを次々と開発。
いろんなパンを作り、パン屋さんを開くときもあるそうだ。
食後、外に出て散策しようと思っていたのに、シトシト・・・・雨。ときには、どじゃぶり。
本当に明日(10日)は牛祭りが開催されるかどうか、不安になってしまいそうな天気でした。
サウナの帰りに丸山。
もともと海底にあり、噴火により浮かび上がり、青ヶ島が出来てしまいました。
天明5(1785)年の大噴火によって、外輪山のほぼ中央に出来た内輪山。
このような、二重式カルデラは世界的に珍しい存在だと言われています。
それにしても、天気が怪しい。
この調子だと無事に牛祭りが開催できるかどうか、心配になってきました。 島の総鎮守、大里神社。
「ニッポン不思議島」の本によれば、昭和41(1966)年頃まで使われていた、でいらほん祭の仮面(男の鬼面と女面)が安置されています。
写真や本などで何度か見かけていますので、せっかく近くまで来れたし、この目で見てみたいと思っていました。 「鳥居の下から玉石をびっしり敷き詰めた参道になっていた」と書かれていますが、背丈の高い草に阻かれ、社殿に近づく事は出来ませんでした。
大里神社には26の神様が鎮座されています。
昭和30年代の青ヶ島は日本の首都、東京都に属しながらも近代の文明もなく、国内で唯一選挙権のない離島でした。まるで綱渡りのような暮らしなので、さまざまな信仰心が生まれてきたのではないかと思われる。 伊豆諸島はもともと静岡県に属していたが、航路はほとんど江戸(東京)方面だし、島の特産物を納めるのに江戸のほうが都合がよかったため、東京府に移管したのは明治以降。
青ヶ島村は日本の首都、東京都内とはいえ、日本一人口の少ないミニ自治体としては有名になっています。
小笠原の母島も東京から30時間近く。飛行機で地球の裏側に行くよりも遠い「東京」です。(笑) ここは島で唯一のお寺、「清受寺(せいじゅじ)」。
僧侶がいないため、その資格を持つ人を探して代役をお願いすることもあるそうです。
ここに来て気付いたこと。 母島と同じくヤブ蚊がいませんでした!!
10年前は蚊に刺されっぱなしだったというのに、環境がますますきれいになってきたような気がします。
時計を見ると、いつの間にかに3時になってしまいました。
友人は初めての青ヶ島なので、秘境っぷりに興味津々でした。
食料品から雑貨まで何でもそろえている島で唯一のお店、十一屋の向かいは自動車整備工場。半日または1日単位で車を借りられるので、そこに行ってみました。
2002年の次は、2007年。きっと女将さんは私のこと忘れているかも?とあまり期待しないでいたら、「以前もいらしていましたね」と言われたときはさすがにビックリ!
とても親近感が湧いてきましたよ。(笑)青ヶ島に頻繁に来ている、ろう者はもしかすると私だけ!?
店内はとても涼しく、テーブルと腰掛けがついているので、飲み物を買うと長居してしまいそうです。
お店から出ようとしたら・・・激しい大雨のスコール。まあ、南の島によくある突然の大雨だし~と気にしないでいたら、友人から携帯にメールが届いた。「台風のせいで太平洋側が大雨だって。そちらは大丈夫?」という、とても短いメッセージ。
(まあ、大雨が降っているのは確かだけど、台風のせいじゃないだろう!青ヶ島に来て台風とは縁起でもない。返事するのは後にしよう)と携帯をポイっと車に放り込む。
行きは私が運転して、帰りは友人。
港に着くと、宿の女将さんに言われたとおり、ちょっと波が高くなっていました。 雨が降ったり、止んだりして、ちょっとおかしな天気に変わってしまいました。
おそるおそる・・・携帯電話で天気予報を見た。
「沖縄近海で台風4号が発生し、北上しています。その影響により、風雨をもたらす低気圧が太平洋に接近しています。局地的な大雨にご注意ください。」天気図を開いてみると、台風4号は沖縄近海にあり、高気圧は太平洋のもっと東側。
高気圧が張り出していれば、台風を追っ払うことができるんだけどなぁ?はあ・・・。 今度はサウナへ。
ちょうどテレビ局の取材に来ていました。
青ヶ島に関する映像なら必ず録画し、家宝にしているので、ディレクターに聞いてみました。
TOKYO MXというテレビ局でした。
初めて聞くテレビ局なので、「スカパーとか契約しなくちゃいけないのですか?」「東京都のローカルチャンネルですので、地上デジタルは9チャンネル、アナログ14チャンネルです」とのこと。
視聴地域を「東京都」に合わせ、地上デジタルスキャンしてみたところ、9チャンネルにTOKYO MXが割り当てられてきましたが、東京タワーからの電波が届かず。
アナログに切り替えてみたところ、TOKYO MXの電波がここまで届いているのが判明。
アナログは見れて、地上デジタルは受信できないなんて、そんなのあり!? ロビーに置かれている、冷水器がとても美味しかったので、風呂上りに飲もうと思いきや、地熱の熱さで壊れてしまったらしい。
作り付けのエアコンも熱さにやられてしまい、故障。
今は外付けのエアコンが設置されていますが、出てくる風は生温い。
窓を全開しておいたほうが涼しい。
夏は地熱もあり、とても大変ですが、冬の間なら暖かくてとても快適なところでしょう。
管理人はテレビや雑誌などで有名人になっている、ゲンちゃんです。
「テレビや雑誌で何度か見かけましたよ~!!」とメモに書くと、ゲンちゃんは嬉しそうな顔をしていました。(笑)
湯船は2人くらい入れるスペースですが、非常に熱い。
水を出そうと思っても、水も地熱で熱しているのか、熱い。
アツアツ尽くしのサウナですが、れっきとした天然の温泉になっております。
青ヶ島に着いた日の昼ごはん。
東京から八丈島行きの「かめりあ丸」は夜行のため、レストランなし。
レストランが開くのは、八丈島発東京行きのみ。
朝食は自動販売機でカップラーメンだけだったので、13時過ぎに着いた頃はすごくお腹が減ってしまいました。
青ヶ島は食堂が1軒もないため、民宿は3食付きです。
遅めの昼ごはんは・・・冷やし中華でした。
すごくお腹が減ってしまったので、とても美味しかった~!!
三宝港から集落までおよそ5キロ。
宿の女将さんの運転するクルマに乗りながら、3年ぶりの青ヶ島にうっとり。(笑)
およそ5キロのドライブシーンをビデオカメラに収めましたので、青ヶ島の秘境っぷりをお楽しみください。
8月16日。部屋の気温34.8度。青ヶ島に滞在中は初日を除き、2日間はよいお天気に恵まれ、外で思いっきり遊んだのですが、暑苦しくありませんでした。
もしかすると、ここは青ヶ島より暑いかもしれません......。
畑を見ると、暑すぎたのか、サラダ菜や沖縄の人参があまり大きくなりません。
野菜も暑さにやられてしまったでしょうか。
たぶん暑さに慣れている、うちなーんちゅ(沖縄人)が東京に来ると、酷暑にビックリするかも知れません。
夜になっても部屋の気温32度。
防犯上窓を閉めなければならないので、親が寝苦しくないようにエアコンの「2時間のおやすみモード」にして入れました。
これからは1.5メートル以内の穏やかな海が続くそうです。
1年の中で最大イベントの牛祭り期間中に欠航続きとはお天気に翻弄されたという感じですね。
仕事を休んででも、もう1度青ヶ島に行って、やり直したいくらいです。(笑)
伊豆諸島開発の船舶は父島~母島間の「ははじま丸」と八丈島~青ヶ島間の「還住丸」、故障やドック入りに備えての予備船「ゆり丸」の3隻。
小笠原に行くと、母島に直行。八丈島だと青ヶ島へ。
どちらも伊豆諸島開発の船にお世話になっています。
「ははじま丸」は大型客船の「おがさわら丸」に接続するダイヤが組まれているので、南方で台風が発生すると、欠航することのないように前倒しで出航するなど予定が変更されることもあります。(ただし、接近中は運休) 八丈島~青ヶ島間も定員140名の「ははじま丸」(490トン)に似たような船を就航させたいところですが、青ヶ島村の人口はおよそ170名。こんなに大きな船だとまるで空気を運ぶかようになるし、燃費を考えると効率がよいとは言えない。
定員45名の還住丸(120トン)はとても小さく、波が出ると木の葉のようにゆらゆら・・・と揺れてしまいますが、島民にとっては大切な連絡船です。
さて、今回の青ヶ島行きは全区間スローな船旅を選んだため、久しぶりに「還住丸」に乗りました。
2階の前方に3人掛けの椅子席が6脚、後方は8畳くらいの和室。
すでに埋まっていたので、窓のない地階の10畳くらいの和室にしました。
牛祭りに参加する観光客や帰省客、テレビ取材のスタッフ・・・などでいつもよりは多かったみたいです。
初めて青ヶ島に来たときは、海がずっとべた凪ぎだったので、到着2~30分くらい前にデッキに出て、しだいに大きくなる島影に感動していました。
ところが、今回はずっと立っていられないほど激しい揺れが続くので、ずっと横になって寝てしまいました。 デッキに出れたのはとっくに港に着いてしまいました。
船の出入口が打ち寄せる波でアップダウン、ちょうど桟橋と同じ高さになったところ、船員さんに引っ張られながら飛び降りた。
還住丸と桟橋の間にクレーンで大きなクッションも吊り上げられていました。
もし、クッションがなければ波が押し寄せ、船が壊れてしまう恐れがあるからでしょうか。
「人間鳥かご」のようなものを見かけましたが、今回の出番はなかったようです。
(※「人間鳥かご」・・・・桟橋から直接船に乗り込むことが困難なときにクレーンで人を乗せた鳥かごを船に移動する手段)
宿の女将さんに簡単な身振りを交えながら「おひさしぶりで~す!今日は波が高かったのよ~。無事に来れてよかったね、さあ、乗って」と言われましたが、その言葉に隠された意味を知る由もなく・・・・。
「波が高い」と言われたときは、なんだかイヤな予感がしたのですが、これでも船が来てくれたので、まあ大丈夫だろうと思っていました。 今度は、青ヶ島発のお客さんを乗せ、そそくさと出航!!
明日(10日)は牛祭りなので、貨物なしの旅客のみ。
「明日もたくさんの人を乗せて来いよ~」と手を振りながら見送り。
八丈島から青ヶ島までの還住丸の動画をアップしました。
東京都青ヶ島村。
中学校社会地図帳で青ヶ島の存在を知り、長年も憧れていた上陸を果たしたのは今から11年前の1999(平成11)年。
2001年、2002年、2007年、5回目の青ヶ島はぜひ牛祭りを見てみたいという思いが実現できました。
朝一の八丈島行きの飛行機に乗れば、9時20分発のヘリコプターに乗り継ぎ、東京からわずか2時間で青ヶ島に降り立つこともできる。
しかし、今回の旅は東京からどれだけ離れているか、実感したくて目的地まで全区間船旅。 八丈島行きの「かめりあ丸」は22時20分出航なので、19時頃自宅を出発。
浜松町駅までJRです。国鉄王国のボロ房線もご覧のとおり次々と新しくなりました。
竹芝桟橋では三宅島、御蔵島に行く人でごった返していましたが、八丈島行きは少なかったような気がします。飛行機も船もほぼ同じ運賃なので、飛行機で行ったほうが早いからでしょうか。 八丈島が見えてきました!!
飛行機は45分、船旅は11時間。
2等は雑魚寝、2等特別はベッド。
朝5時に三宅島、6時に御蔵島。
2等雑魚寝は船が島に着くたびにバタバタと足音がして目覚めてしまうので、今回は2等特別のベッド。誰にも邪魔されずに安眠できます。 揺れが激しい還住丸は船酔いしなかったのに、かめりあ丸で珍しく船酔い。吐いてしまいました。
還住丸は自分の大好きなところに連れてくれるので、ちょっと興奮気味だったかも。
底土港から反対側の八重根港まで横断するのにタクシーで1850円。
八重根港に着くと、青ヶ島行きの還住丸が待機し、クレーンを使って青ヶ島行きの貨物を積む作業が見られました。
10時30分。八重根港を出発すると、みるみるのうちに八丈島が小さくなってしまいました。
出たばかりだというのに、激しい揺れ。
操縦席の窓にさっぷ~ん!と白い波がかかり、ワイパーも激しく動かしていました。
椅子席があっという間に埋まり、座敷も横になれるスペースがなかったので、地階の客室へ。激しい揺れでまともに歩けない状態なので、船では横になって眠るとよい。
青ヶ島は縁もゆかりもないところだというのに、なぜか好きです。
早朝特別チャーター便で八丈島に戻り、レンタバイクでしばし島内観光。
ANA最終便で内地に戻って来れましたので、13日からは予定のとおり仕事に出れます。
これも青ヶ島の皆様のおかげです。
「キャンセル待ちが多ければ、臨時のチャーター便が飛んでくれることもありそうですよ」と教えて下さった、島民のaura*さん、「朝7時頃、ヘリポートの受付窓口で並んで、キャンセル待ちを申し込むといいですよ」と村役場のMさん、私の代わりにキャンセル待ちを電話で何度もリコールした宿の女将さん、ヘリポートの若い男性職員たちも、筆談を面倒だと思わずに最後までスラスラと書きながら丁寧に対応してくださったこと、本当にありがとうございます。
「船が欠航続きなので、予定通りに帰れないかも?私の代わりにどなたか出れるように人員調整をお願いしたいです」と職場にメールで連絡したところ、「わかりました。そのことは心配せず青ヶ島を楽しんでください」と返事がきました。
ふだん、沖縄言葉で「なんくるないさ~」という言葉が好きな私なんですが、これからしばらくは欠航続きだとすると、「なんくるないさ~」ところじゃない!!
(「なんくるないさ~」は「なるようになるさ~」という意味です)
ヘリポートの受付でへばりついたおかげで、なんとか帰れたのですが、青ヶ島から出たくてなかなか帰れない方もたくさんいらしています。
「今年の夏は1998年に似ていて、台風の発生も少ないです」という天気予報の言葉を信じて、ヘリの予約はせず、往復船にしてしまいました。
青ヶ島へは、日本一交通アクセスが非常に難しいところですので、まず、往復ともヘリコプターを確保し、当日船も動いていたら、必要な方にお譲りする方法もあります。(キャンセル手数料は無料です)
久しぶりに還住丸に乗ってみて、青ヶ島の島民たちが還住丸を敬遠する理由がわかってきました。
黒潮を横切るため、立っていられないほど、かなり揺れます!!
では、操縦する船員たちの揺れ対策はどうしているかって、操縦席の椅子に弾力性の強いバネがついていて、揺れに従うようにポンポン上下に飛び跳ねていました。

朝の特別チャーター便で戻れました。運賃はチャーター料金もかかるので、通常よりもちょっと高めになっていました。
チャーター頼むのに莫大な料金がかかるはずなのに、私たちの負担が少なくて申し訳ないです…。朝の特別便で青ヶ島に来た人はいませんでした。
台風が近づいているせいか、波が高くなっています。
ふと、八重根漁港に目をやると出発時間を過ぎても係留していました。
台風が北海道あたりを抜け、波がおさまってから就航になるみたいですが、いつになるのやら…。
今回は往復船で行くのを前提に青ヶ島に行ったのですが、島に来て、まさかずっと欠航とは思いもしませんでした(>_<)
日頃からお世話になっている、一部の友人・知人に青ヶ島郵便局から風景印付きで牛祭り当日発送しました。
すると…その翌日の11日、青ヶ島からのハガキが届いたよ~とメールが入り、びっくり仰天。
朝の8時ごろ郵便局の窓口から発送。9時45分発のヘリ定期便に積み、午後の八丈島→東京の飛行機に積み替え、当日のうちに江東区の新東京支店を通過。 関東圏内なら翌朝に配達支店に到着。
昭和30年だとしたら、届くまで3、4ヶ月はかかっていたので、すごい進歩です(^O^)

新しい体育館の中に武道館を移したため、その空きスペースを新しい図書館に生まれ変わったそうです。 1999年初めて青ヶ島に来たときは、NDC(日本図書十進法による分類)順ではなく、でたらめに無造作。 ドアを開けたとたん、「暑っ!!」
4回目は2007年、久しぶりに行ってみると、一般書は青、児童書は赤といったように色分けで分類。
今回は内地の図書館並みにNDC分類法に従った並べ方になっていました。
伊豆諸島&小笠原各図書館の中で整備が進んでいるのは、八丈町立図書館、小笠原父島福祉センター図書室、青ヶ島村立図書館。
郷土コーナーにはもちろん持ち出し禁止の帯がついていて、館内閲覧になっていました。
貴重な昔の青ヶ島の様子や写真なども見られます。